神の憐れみの中で

 

薬局開業

 1977年、妻と2人で薬種商販売資格を取得しました。1980年には、那覇市曙にて「みなと薬品」を設立。当時は夫婦2人だけの小さな薬局でした。

 私たちの働く姿を見てか、長女は将来薬剤師になりたいという夢を持ち、高校は進学校への進学を希望していました。1988年2月、娘の高校受験1ヵ月前のことです。クラス担任と塾の教師から「今の学力では、希望する高校には合格できません」と言われ、どうしたものかと非常に悩みました。
 妻に「あなたがイエスさまを信じて祈れば、娘は必ず合格する」と言われ、娘を思う気持ちからイエスさまを信じようと決めました。同じ月の14日、信仰告白をしバプテスマを受けました。

 それから1ヵ月間、高校合格のために、毎日妻と必死で祈りました。2人で聖書を読んでいると、み言葉が与えられたました。

「あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を固く握り、『恐れるな。わたしがあなたを助ける』と言っているのだから。」 イザヤ41章13節 

 娘の受験表の裏面にもそのみ言葉を書いて渡しました。そして、合格発表の日、なんと掲示板に娘の受験番号がありました。無理だと言われていた志望校に、合格することができたのです。この神さまは本当に奇跡のお方だと思いました。

 

信仰の戦いが始まる

 それから3年後、大学受験を前にした長男が、薬剤師になりたいと言い出しました。彼は小学2年生から水泳をしており、高校はバタフライの国体選手になるほどの実力を持っていました。水泳中心の生活で勉強はほとんどしておらず、彼の学力では薬学科のある大学に行くことは到底無理だと思いました。それでも、受験勉強を頑張っている息子のために、妻と毎日徹夜で祈り初めました。娘の時のように、受験当日は聖書のみ言葉を渡して送り出しました。
 しかし、結果は不合格。2年後なんとか合格しましたが、大学入学後も留年したり、卒業後も国家試験になかなか合格できず困難な道のりでした。そして、高校卒業から12年後の2001年、国家試験に合格することができました。
 その12年間、何度も信仰を離れそうになりました。こんなに祈っているのに、なぜ神さまは聞いてくださらないのか。神さまを否定したり、教会から足が遠のく事もありました。そのような時、娘の高校受験の奇跡が脳裏によみがえってくるのです。その時の事を思い出すと、順調に事が進まなくても信じて祈ろうと思い直すことができ、教会にも再び通うようになりました。

 

 

家族旅行で鳴門大橋へ(1987年)

 

 

 また、次男も薬剤師になるため、薬学科のある大学に進学しました。ある日彼から、学科試験のために家で勉強するべきか、教会の祈り会に参加するべきかと相談を受けました。私と妻は「神さまを一番にして、教会に行きなさい」と助言しました。彼は祈り会に参加する事を選びました。神さまは彼の信仰に応えてくださり、学科を一つも落とさずに大学を卒業し、国家試験にも合格することができました。

 3人の子どもたちは、念願だった薬剤師になることができました。
 子どもたちのために祈ることで、祈りと信仰の訓練をしたように思います。毎朝祈りとみ言葉で一日を始めるうちに、心からイエスさまを信じるようになっていました。
 そして、不思議な事に私自身の性格も変えられていきました。若い頃から妻に「盛本タンチャー」と言われるほど短気な性格でした。会社で従業員を雇えるようになった頃は、厳しい指導をして、とても恐れられていました。家庭でも、ほとんど笑う事はありません。子ども達は私の声を聞いただけで、直立姿勢になるほど、私を恐れていました。
 そんな私が、従業員に優しく指導するようになり、家で笑うようになっていました。「盛本さん怒らなくなりましたね」と、周りに言われて初めて気がつくほど、自然に変えられていました。
 また、人前で話すのはとても苦手で、親戚の集まりの挨拶でさえも逃げ出すほどでした。イエスさまを信じてからは、以前より人前で話せるようになり、親戚は「こんなに変わるものかね」と驚いたほどです。

(次のページへ続く)

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