v93特集
生きる意味を探し求めて
枝川洋一さん(43歳)
人は死んだらどうなるのだろう
小学校までを沖縄で過ごし、中学からは本土の中高一貫の進学校へ進学。多感な時期でもあったので、親元を離れられることに開放感を感じたのを覚えています。実家暮らしでは味わえない一人の時間は、楽しさの反面、人生とは何か、生きるとは何かを考える時間になりました。
「人は死んだらどうなるのだろう」そのことばかり考えて過ごしている中、自分なりに導き出した結論は「死んだら消えてなくなる」でした。
そうであれば、生きている間の努力は何の意味もなく、頑張って勉強することがばかばかしく思えてなりません。生きることに意味がないなら、今すぐ死んで良いとさえ思いました。しかし、この結論には何の根拠も保証もありません。
「もしこの考えが間違っていたら」との不安がよぎり、死んだ後に後悔しないために、その答えを探すことにしました。
医学や物理学の分野を手当たり次第調べても、とても難しくて理解できません。ただ、宇宙の仕組みや体のつくりは書かれていても、人は死んだらどうなるのか、については書かれていないことが分かりました。
そこで、「答えが見つかるまでは、何の努力もせず、自分の思うまま楽しく生きよう」という屁理屈を心に確立してしまい、「自分の人生から逃げる」という生活が始まりました。
生きる意思がなくなる
大学生になると毎日遊びほうけ、将来を見据えて勉強する学生たちの姿を哀れに思うほどでした。周囲との人間関係をできるだけ遠ざけ、沖縄の両親とは音信不通の状態。もはや生きる意思がまったくありません。
そのような状況なので、当時ネットで手軽に手に入った「脱法ドラッグ」になんの罪悪感もなく手を出しました。
一日中薬でハイになり、自堕落な生活を送ります。そんな生活ですから、案の定大学は中退。死ぬでもなく生きるでもない、自らの人生の責任からさらに逃げるようになりました。
中退後、愛知や大阪を転々としながらいくつか仕事に就いていたようです。と言うのは、ドラッグをやると記憶力に重度のダメージを受けるので、若い頃の記憶は断片的にしか思い出すことができません。
そんな中でも、「死後の世界」についての探究心はありました。医学や科学がダメならと、仏教などの宗教や哲学の分野も調べるようになりました。しかし、どれも人は死んだらどうなるのか、ということについて確証に至る答えを教えてはくれませんでした。
自殺未遂
30歳になる頃には、すでに重度の薬物依存に陥っていました。何ヵ月もろくに睡眠を取らず、24時間薬に溺れる毎日。あの頃はどうやって生きていたのか本当に分かりません。
相変わらず「人は死んだらどうなるのか」と考えていた私は「死んだ後のことは、一度死ななければ分からない」と考え始めました。
そして、安易に自殺未遂を繰り返したのです。死のうとすると、逆に意識がはっきりしていくという体験をし「死んだら消えてなくなる」と言う考えを疑い始めました。今思うと、あの時死ななかったのは、イエスさまの憐れみでしかありません。
どのようにしてか記憶も曖昧ですが、本土から沖縄に帰ってきていました。仕事に就いても長くは続かず、相変わらず薬物漬けの生活。その頃にはスピリチュアルにも手を出し、霊的な世界に答えを探すようになっていました。
一枚のチラシ
2014年1月、その日も薬でハイになった状態で、那覇の街を歩いていました。左手首にパワーストーンのブレスレット、右手には水晶玉を持ちながらの、なんとも異様な姿。すると、向こうから一人の女性がやって来て、何かのチラシを手渡しました。
「よかったら遊びに来てください」
言われるがままに受け取りましたが、すぐには目を通しませんでした。あとで思い出したようにそのチラシを広げてみると、キリスト教会の集会案内のチラシでした。ふと、「そういえば、キリスト教では死んだ後のことをどう教えているんだろう」と教会の教えを聞いてみたいと思いました。
その日の夕方、チラシに書いてあった時間に教会へ向かいました。初めて教会のドアを開けた時の感覚を、今も覚えています。ずっと忘れていた「幸せ」とでも言いましょうか。子どもの頃、家族と一緒に過ごした時のような心地よさを感じました。
その瞬間、感覚的に「ここから離れたくない」と思いました。中に入ると、礼拝堂でやっていた韓国語教室に案内されました。教室が終わると、先ほどチラシをくれた女性が「うちの牧師先生です」と牧師を紹介してくれ、すぐに「聞きたいことがあります」と本題を切り出しました。
答えに辿り着く
牧師と向かい合わせに座り、自分の胸の内と現状を打ち明けました。
「人は死んだらどうなるのか、この世界はどうしてつくられたのか。キリスト教ではこれらの問いについてどう教えているのですか」
これまで抱いていた謎と、探し求めて来た過程を、牧師はただ黙って聞いていました。私の話が終わると、牧師はゆっくり話し始めました。神が世界を造られ、その言葉であらゆる物を創造し、
「見よ。それは非常に良かった」と言うのです。
その聖書のストーリーは、今まで聞いてきたものと比べることができないほど、合理的でとにかく感動的でした。牧師のその言葉は、まるでひな鳥が初めて親鳥を見た時のように、なんの疑いもなく、信頼できる言葉として耳に心地よく入ってくるのです。
牧師は続けて、「死後の世界があり、天国と地獄がある」と教えてくれました。人間はみな罪人で、罪の赦しがなければ地獄へ行き、イエス・キリストを信じるならその十字架によって罪が赦され、救われて天国に行けると言うのです。
イエス・キリストの罪の贖いについて聞いた時、目から鱗が落ちるような感覚で、ワクワクしながら聞いていました。
人生のゴールと生きる目的、今まさに自分の求めていた答えが目の前に訪れ、言いようもない興奮に包まれました。私の求めていた答えは、世界で最も有名で、最も多くの人に読まれている書物「聖書」に書かれていたのです。興奮の中、その答えをどうやって自分のものとすれば良いのか分からず
「私もそれがやりたい」というようなことを牧師に伝えました。
すると牧師は、「自分の罪を悔い改めて、イエスさまを信じることでそれができます。あなたもイエス・キリストを信じますか」と仰いました。その言葉に一瞬、躊躇するような思いが立ち塞がりました。スピリチュアルを学んで、言葉には力があることを体験していたからです。
「信じます」と告白すれば、後戻りはできない。
しかし、その思いにまさる何かが、私の背中を押すように「私もイエスさまを信じます」と言わせたのです。今では、それが聖霊によるものだったと理解しています。その日、私はイエス・キリストを信じ救われました。
生き方を変える
天国行きの切符という大きな「希望」を手に入れた私は、人生の意義をさらに深く知るために聖書を学び、信仰の歩みを始めました。
すると、今までの生き方や価値観はどんどん覆されていきました。薬物に対する罪悪感が生まれ、薬と手を切る事ができました。拒絶していた家族と、心を開いてコミュニケーションを取り始めました。父の営む板金工場で働き、生きるための努力をする「普通の人生」を歩み始めました。
その頃、二つの聖書のみことばが私の励ましになりました。
「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」マルコの福音書12章30節
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」 マタイの福音書6章33節
「何よりもイエスさまを一番に愛そう」そう思い、教会に行っては牧師に祈ってもらい、礼拝に参加しました。イエスさまを信じて生きる喜びを感じ、2014年6月22日にバプテスマを受けました。しかし、イエスさまはその後、心のさらに奥深くに触れ、私を造り変えてくださいました。
大切な物を捨てる時
その年の11月、礼拝のメッセージの中で、ひとつの気づきが与えられました。
イエスさまを裏切ったペテロに、復活したイエスさまが現れ、彼を励ます場面。励まされたペテロは、心がいやされ変えられていきます。「あれだけの裏切りをしたのに、復活のイエスさまに励まされたら、従順な者に変えられるのは当然だよね」非常に合理的な方法でいやしを与える神さまは、本当に素晴らしいな、と感心しながら聞いていました。
ですが、私の周りで聞いていた人の多くが「アーメン、アーメン」と涙を流しながら聞き入っているのです。私にはそれが理解できませんでした。合理性に優れた神さまの働きは、特に感情に訴えるものではないと感じていたので、周りの涙に困惑したのです。「いや、もしかすると自分には何かが足りないのかもしれない」そんな思いが湧き上がり、もっと神さまのことを知りたいと思うようになりました。
翌年の2月、ある宣教団体が主催するセミナーに参加した時のことです。授業の最後に、小さなメモ用紙が配られ、講師がこう言いました。「その紙に、あなたにとって最も大切なものを書いてください。これが無いと生きていけない。というものをひとつ、書いてください」
そこで私は「論理(先を知ろうとする力)」と書きました。
講師は続けます。「それを折り曲げて、手に握りしめて、立ち上がってください。そしてそれを捨てる決心をしてください。決心ができたら手をひらいてください。簡単にひらかないで、本気で捨てる決心ができたらひらいてください」
私は、頭の中で論理がなくなった日常生活をシミュレーションしてみて、そんな人生でも良い、と思えるのかまず確認しようと思いました。するとこれがやたら難しくて、ああでもないこうでもないと一生懸命考えていました。そうしているうち、ふと思ったのです。
「論理を捨てるって、今やっているこれ(シミュレーション)を止める、ってことなのでは?」
そう思った瞬間、私の手と目が、自然にひらいたのです。
部屋のライトの眩しさが目に入るのに合わせて、腹の底を連打されるような感覚に襲われました。何が起こったのかと戸惑いましたが、落ち着いて、自分の心を観察しました。そして、「今この瞬間に、イエスさまが私の人生の土台になってくださったのだ」ということをはっきりと理解したのです。
論理を手放した途端、「心が造り変えられる」という説明のつかない体験をしたのです。論理を超えていて、なおかつ合理的。そんな美しい奇跡の御業を、主が私にしてくださったことを知った時、目から喜びの涙が溢れました。
「イエスさまが救い主であることを論理的に理解している私」ではなく、「論理以上に確かな存在としてイエスさまが人生の土台となってくださっている私」となったのです。
こうして私に「救いの確信」が与えられました。その日から、メッセージを聞くと感動が湧き、自然に「アーメン」と口にするようになっていきました。
妻との出会い
2021年のある日の晩、教会で祈っていると「結婚」の二文字が脳裏にちらつきました。
特に、結婚願望があったわけではありません。当時は「神さまに示されなければ結婚はできない」と考えていました。しかし、別のことを祈ろうとしても、気づくと結婚のことを考えているのです。
翌日、朝の祈り会に参加すると、牧師から「クリスチャンの結婚支援団体があるのだけど、登録してみませんか」と提案されました。あの祈りの意味はこのことだったのかと、祈りの示しを信じて登録しました。支援団体を介して、何名かの女性とオンラインでお見合いをしました。
そこで、関西出身の女性と出会いました。朗らかな笑顔が印象的で、聞き上手かつ話し上手。クリスチャンホーム育ちで聖書のことをよく知っていて、信仰にも熱心なとても素敵な方だと思いました。お見合いを重ねる中で、聖書の話をしたり祈ったりしていくうち、私の心は彼女に惹かれていきました。
ある日の晩、教会へ行き一人で祈り、聖書をひらきました。その時、この聖書のみことばが心に迫ってきたのです。
「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」創世記2章24節
同時に「今こそ、その時である」と強く語りかけてくるように感じました。神さまの温かさを感じ、涙が溢れてきました。後日、意を決して彼女にプロポーズ。彼女は快く承諾してくれ、2022年9月に沖縄で式を挙げることができました。
重度の薬物依存だった私が、結婚して家庭を持つなど、奇跡としか言いようがありません。結婚を通して、さらにイエスさまの憐れみ深さを体験しています。愛する妻に出会わせてくださった神さまに心から感謝します。
イエスさまの愛と希望をあなたにも
以前は、家族や友人、私を大切に思ってくれる人達のことなど気にも止めませんでした。
そんな身勝手に生きていた私は、教会へ行き、キリストの愛を知ることで、今までどれほど周りの人に愛されてきたのかを痛感しました。
沖縄に帰ってきた頃、父はこのような私を受け入れ、社会復帰のために忍耐強く仕事を教えてくれました。
職場の仲間も私を支えてくれました。しばらく会っていなかった友人たちも、以前のように接してくれました。教会の牧師と兄弟姉妹たちはいつも祈って支えてくれました。地域や仕事の関係者の方々、私に関わるたくさんの人の愛を知りました。
これからは、関わるすべての人に応えていく人生を歩みたいです。私の生き方そのものが、イエスさまを証しするものであるようにと心から願っています。
すべては、イエス・キリストというただ一人の神さまの愛によって変えられたのです。「魂の救い」という天国行きの切符。これほど希望に満ちたことはありません。人生は苦しいこともたくさんあります。しかし、イエスさまが一緒なら必ず乗り越えることができます。
私は、生きることから逃げてきました。そして、以前の私のように、生きる意味を見出せず、苦しんでいる人がいることを私は知っています。イエスさまはその人生に希望を与えてくださいます。言葉では説明できません。
しかし、イエス・キリストこそ、私たちの希望、生きる目的なのです。