v68 特集
日本全国を回って「聖書配布協力会の証」
聖書配布協力会とは(前編)
沖縄県内各地で、イエス・キリストの福音を放送している街宣車を見た人は多いのではないでしょうか。彼らは、日本全国を回って伝道している「聖書配布協力会」です。
聖書配布協力会は
「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16章15節)
という主の大宣教命令に基づき、日本を初め、アジア10カ国で主イエス・キリストの福音を伝えています。
1949年、戦後間もない日本へ福音を伝えようと、約20人のアメリカ人宣教師たちが東北地方で伝道を始めました。その伝道を通してクリスチャンとなった日本人と共に始まったのが「聖書配布協力会」です。
当初は戸別訪問を主体とした伝道でしたが、時代の変化に伴い、現在は小・中・高等学校の生徒へのトラクト配布、住宅へのポスティング、許可を得て設置する看板、路傍でプラカードを掲げたり街宣車による放送伝道などを行なっています。
1950年代後半にはバングラディッシュやラオスに伝道者を送り、その働きは海外に広がっていきました。
青い目の日本人宣教師
ディック・ファンガーさん(アメリカ出身87歳)
私はアメリカのオレゴン州出身で、クリスチャンの両親の元、男ばかり5人兄弟の末っ子として生まれました。
長男はイタリアで戦死、三男は空軍、四男は海軍で働いていました。次男は宣教師として戦後すぐに日本へ渡りました。
私はイエス・キリストを救い主と受け入れていましたが、献身の思いなどはありませんでした。日本へ行くきっかけとなったのは、高校2年生の時参加した教会のキャンプでした。
そこにはマレーシアから帰国したポール・フレミンという宣教師がいました。ポールさんは、情熱的な方で、そのメッセージは力強く、影響力のある方でした。
「口下手ならプラカードを持てば良い、トラクトを配れば良い、出来ないことは何もない」
と教えてくれました。また、「宣教するなら、その土地の人々に仕える者になり、そこの人々と共に出来るような伝道をし、あらゆる点で模範になりなさい。自分の骨をその国に埋める覚悟で行きなさい」
と言いました。そして、ポールさんはこのみ言葉を教えてくださいました。
「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」ヨハネの福音書12章24節
私はその日にバプテスマを受け、神さまのために生きる決心をしました。
ポールさんはボリビアへ開拓伝道に向かう途中、飛行機事故に遭い、天に召されました。しかし、彼のスピリットを多くの若者が受けとり、国々へ宣教に出て行きました。
あれから約70年経ちますが、彼の言葉は、今でも熱く私の心に留まっています。
19歳で日本へ、34歳で日本人になる
高校卒業後、19 歳で次男兄のいる日本に宣教師としてやってきました。戦後の日本はとても貧しく、豊かなアメリカと比べ物にならない生活でした。
地元の人より豊かな生活をしてはならないと教わっていたので、日本に合わせた生活をしました。それから日本にいる宣教師たちが集まり、そこで救われた日本人と共に聖書配布協力会が始まりました。
日本に来て数年経ったころ、アメリカから仕事でやって来た知人と会う機会がありました。日本の状況を目の当たりにした彼は、伝道の重要性を知り、献金したいと申し出てくれました。
私が日本に来るとき、アメリカからの経済的な支援はなかったので、これが初めてのサポート献金となりました。
それから34年間、毎月続けてくださいました。
「神の国とその義とを第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6章33節)
この御言葉を体験した最初の出来事でした。
私は、34歳の時に帰化し日本人となりました。82歳になるまで60年間アメリカに帰ることはありませんでした。
87歳になりましたが、今もキャンピングカーで日本中を回って伝道しています。
60年ぶりの再会と新しい出会い
今回の沖縄伝道での出来事です。
石垣島を伝道中、地元の方に「ディックさん!」と呼び止められました。
その方は、60年前、東北で共に伝道したことのあるクリスチャンの男性でした。今は石垣島で教会の働きをしているそうです。私の風貌はだいぶ変わりましたが、すぐに気づいて下さいました。
また、沖縄本島では、沖縄チャーチトラストというチームと協力し、毎月2回伝道する機会がありました。いくつかの教会から有志が集まり、共に伝道するチームで、10年ほど続いているそうです。
全国的にこのような働きが増えると嬉しいです。クリスチャンはキリストの肢体としてそれぞれに役割があります。教団教派の壁を超え、御霊の一致を持って魂の救いのために心を合わせるなら、日本は必ず変わると信じています。
聖書配布協力会とは(後編)
約70年に渡る活動ですが、2019年1月、初めて沖縄入りしました。中城村に拠点を置き、10台の車で県内ほぼ全ての住宅へトラクトのポスティングを完了。聖書からの言葉を書いた看板は、県内約1,000カ所に掲示しています。
メンバーは日本、アメリカ、韓国、タイなど様々な国籍の方で構成されています。今回の沖縄伝道には、フルタイムの献身者や、仕事の休みを取って参加している方など、10代〜80代まで25人が参加しています。
毎日伝道に出かけ、日曜日にはそれぞれ教会へ足を運び礼拝を捧げます。沖縄の教会との交わりを大切にしながら、協力して伝道することもあります。
8月にはチームの半分が奄美群島への伝道に移り、残ったメンバーは10月まで沖縄で伝道する予定です。
17歳、宣教の旅へ
サムエル・ブラントンさん(タイ出身28歳)
私はタイのチェンマイ出身で、クリスチャンホームに男4人女1人の5人きょうだいの長男として生まれました。
タイは仏教国で偶像礼拝の盛んな国ですが、私は両親に連れられて幼い頃から教会に行っていました。親からはいつも「困った時はイエスさまに祈りなさい」と教えられていました。
私が11歳の時に、父は日本から来た聖書配布協力会と出会いました。父は福音を伝えることが大好きで、毎日いろんな場所に出かけて伝道をしていました。
父から、バンコクにある聖書配布協力会のメンバーの子どもたちのホームスクールに通わないかと勧められました。チェンマイからバンコクまではバスで約12時間かかります。
まだ小学6年生でしたが、親元を離れ、単身バンコクへ行きました。そこで日本語や聖書を学んだり、福音伝道の訓練を受けました。しかし、私はまだ神さまと個人的に出会ったことがなく、聖書もあまり読まないような子どもでした。
人生はまだ長いと思い、死について考えることもありません。伝道の働きは大人になってからで良いと思っていました。
妹の病を通し主と出会う
14歳の時、「妹が病気で後2、3日の命と医者から言われた。急いでチェンマイに帰ってくるように」
と父から電話がありました。たった一人の大切な妹ですので、急いで実家へ向かいました。その道中、イエスさまの御名を呼び求め、
「妹の命を救ってください」と涙を流しながら必死に祈りました。そのような祈りをしたのは初めてでした。
病院に着き、急いで病室のドアを開けると、牧師や教会のメンバーが集まり、妹に手を置いて祈っていました。
妹のために祈っているのは私だけじゃない。みんなが妹の痛みを感じて祈っているんだ。と知り、神の家族とはこういうことなんだと感動しました。
後2、3日と言われた妹の命は1週間、1カ月と延び、彼女は今日まで信仰を守って生きています。
この素晴らしい神さまを私一人で信じるのはもったいない。そう思い、17歳の時に宣教ビザで日本に来ました。当初は2年の予定でしたが、主の導きにより10年経った今も日本で伝道しています。
「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10章17節)
いつもこの御言葉を握って伝道してきました。
教会のない西表島で
今回の沖縄伝道で特に印象に残っている出来事があります。
西表島へ行った時のことです。台風の影響で空が暗くなり始めている中、オートバイで港に向かっていました。一人のおばあさんが歩いていたので、この島を離れる前にこの方にイエスさまの福音を知らせようとオートバイを止めました。
あいさつをし、おばあさんに西表島の美しさに感動したことを伝えた後、万物をお造りになった神さまについて知っているか尋ねました。
するとおばあさんは「はい。創造主がおり、その方が人間をお造りになられたに違いないと、長い間思っていました」と答えました。
私はその返事に驚きつつ、真の神さまと、天国について伝えました。
ばあさんは「私はいつも、天地万物をお造りになられた神さまを拝んでいます。また、全ての人はいつ
か死ななければならないことも知っています」と言いました。
私は、全ての人は罪人で、罪の行き着くところは死であること。全ての罪人は必ず地獄に投げ入れられると伝えると、おばあさんは「その通りです。地獄は恐ろしいところですよね」と言いました。
「しかし、おばあさん。地獄の火の池から救われる道があるのです。約2千年前にイエス・キリストは人の救い主としてこの世界に来られました。そして、私たちの罪の身代わりとして、十字架の上で死んでくださり、葬られて3日目によみがえりました。イエス・キリストを救い主と受け入れる人は罪の赦しを受け、永遠の命を頂きます」
私がここまで話すと、おばあさんは「私は信じます」と言ったのです!
そこで、イエス・キリストを救い主として受け入れるお祈りをしました。祈り終わるとおばあさんはとても喜んだ表情で、トラクトを受け取って家に帰られました。
「主の御名を呼び求めるものは、だれでも救われる」(ローマ10章13節)
神さまは公平なお方で、ご自身のことを色々な方法で人々にお示しになります。神さまを知りたいがまだ福音を聞いていない人がもっといることでしょう。
私はそのような方々に出会うため、これからも日本中を回り続けます。