v71 特集
ありのままを受け入れる神の愛
成田大地さん
私は岩手県で生まれ、小学6年生の時に家族で沖縄に移住しました。沖縄の小学校に転校すると、言葉や文化の違いに戸惑い、周りと違う自分を恥じるようになりました。
明るい性格だったのですが、人の目を恐れる様になり、クラスの子たちと関わることや自分を表現することが怖く、あまり友達ができませんでした。また、祖父が亡くなった事もあって、このまま死んだら自分はどうなるのだろうという死に対する疑問と恐怖心が私を苦しめていました。
学生時代
中学1年生の時、韓国人でクリスチャンのK君と同じクラスになりました。彼はいつもイタズラをしてくるので、とてもうっとうしい存在でした。しかも近所に住んでいたので、よく遊ぼうと誘いに来るのです。
仕方なしに彼の家へ行くと、彼のお父さんが牧師さんで自宅で教会をやっていると知りました。礼拝にも誘われるがまま行き、初めてイエスさまの話を聞きました。
「天国と地獄があり、イエスさまを信じない人は地獄に行く」と聞き、衝撃を受けた事を覚えています。
中学2年生の時、ロックバンドに憧れてギターを始めました。言いたい事も言えない。運動も勉強もできない。自分はみんなより劣っている。そのような劣等感に襲われ辛かった時期で、自分を表現する手段の一つとして、ギターで大きな音を出したいと思ったのです。
ちょうどK君がギターをやっていたので教えてもらいました。また、K君の紹介で、クリスチャンスクールに通っている生徒たちと一緒に演奏をして遊ぶようになりました。
クリスチャンの彼らは、人付き合いの苦手な私に壁を作らずありのままを受け入れ、よく遊びに誘ってくれたのです。今までこのような人たちに出会ったことが無く、「クリスチャンって何なんだろう」と不思議に思いました。
その中の1人に、ドラムの上手なH君がいました。ある日彼に「クリスチャンスクールで集会があるから来ないか」と誘われました。一緒にバンドを組もうと言っていたほど仲良くしていた彼の誘いを断る理由もなく、集会に参加する事にしました。
初めての場所に緊張しながら過ごしました。しかし、集会が終わるとH君は別で帰ると言い出し、代わりにクリスチャンスクールの卒業生でヘブンズチャーチの伝道師である松田有先生が家まで送ってくれる事になりました。
それから有先生と連絡を取り合うようになり、食事に連れて行ってもらったりしていました。その中で、私が自分の弱さやマイナス的な言葉を吐いたりすると「そんなことない」と言って下さり、聖書やイエスさまの話をしてくれました。
高校生になってからは教会に行ってなかったので、高校を卒業したらヘブンズチャーチに行くという約束をしました。
死の恐怖から自由に
卒業後、ヘブンズチャーチに通い始めました。運転免許を取るまでの間、毎週有先生が送り迎えをしてくれました。初めの頃は礼拝に出ても、賛美は長いし聖書の話も難しく、人見知りもしていたので、早く帰りたいと思っていました。
しかし、牧師先生ご夫妻や教会のメンバーの皆さんが愛を持って接してく下さり、教会が居心地の良い場所になっていきました。
また、当時も死に対する恐怖心を抱いており、自分の力では家族や大切な人を死から守る事は出来ないという絶望感に襲われる事もありました。
しかし、教会に通う中で、イエスさまが十字架で私の身代わりとなり死んで3日目によみがえり、死に打ち勝った事を知った時、神さまに守られているという安心感を体験し、死の恐怖から初めて解放されました。
それは私にとって本当に大きな出来事でした。聖書を通して神さまは、何もないと思っていた私に、「あなたはその
ままで素晴らしい存在」だと教え励ましてくれました。時には聖書のみ言葉を信じられない事もありました。
それでも聖書を読んでいると「わからなくてもいいから、私を信じることが私を愛することです」という思いがふとやって来ました。今はそれが神さまからの語りかけだったのだと分かります。
「高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8章39節)
このみ言葉を握り、2012 年18歳のペンテコステ礼拝の日、イエス・キリストを私の救い主と信じ、洗礼を受けました。
葛藤
洗礼を受けた後も、内気で自分の気持ちを伝えられない事に対する葛藤がありました。職場でも、同僚やお客さんとコミュニケーションが上手く取れません。
さらに、簡単な内容の仕事さえろくに出来ない始末。結局どの仕事も数ヶ月で辞めてしまい、至らない自分に落胆していました。神さまに助けを求めて祈り、聖書を読んでいると、
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ書41章10節)
というみ言葉に励ましを受け、祈りつつ仕事を探していると、児童福祉施設の仕事が与えられました。所長さんはとても親切な方で、人一倍仕事の出来ない私を、忍耐強く指導してくれました。
また、クリスチャンである事を所長さんや職場の人達には公言していました。教会の宣教活動や特別な学び会があるときは、それを正直に伝え休みを頂きました。仕事も出来ないのに休みをよく取る私を職場に残してくれるのは神さまの奇跡だと思いました。
所長さんやスタッフの皆さんのおかげで、仕事も徐々に身に付き、7年間勤め続けられている事を神さまに感謝しています。
家族
私は祖母と母、姉と弟の5人家族です。
両親は私が幼い頃に離婚してしまい、私達は母と祖母に育てられました。母は私が教会へ行き始めた時、宗教に対する不信感からとても心配していました。
沖縄に来てからは家族にしか心を開けなかったのに、大切な家族の反対を押し切り教会へ行くというのは苦しい選択でした。
「家族を置いて教会に行くと決めたからには、もう神さましか頼れない」と、毎日すがるように教会に行きました。私がクリスチャンになり徐々に変わっていく姿を見て、家族も少しづつ認めてくれるようになりました。
私は大切な家族が救われるように祈っていました。すると、神さまは不思議な方法で奇跡を成して下さいました。
突然の引っ越しが転機に
私たち家族は、沖縄市に一軒家を借りて住んでいました。ありえない話ですが、大家さんがその家を突然売りに出し、引っ越しを余儀なくされたのです。
しかし、私にとっては朗報でした。沖縄市から読谷村にある教会に通っていたので、読谷村に引っ越せるようにと祈っていたところだったのです。家族で話し合った結果、読谷村はどうかという私の意見を最終的に飲んでくれました。
急な出来事で金銭的な心配もありましたが、大家さんからの立ち退き料などで必要も満たされ、条件の良い物件も見つけることが出来ました。
読谷に引っ越してからは、時々教会の方が家を訪ねてくれました。祖母は今まで、私が教会へ誘っても全く行こうとはしませんでした。しかし、教会の方と交わりを重ねるうちに、クリスマスなどのイベントに顔を出すようになりました。
気が付けば、日曜日の礼拝にも行くようになりました。私は賛美チームに所属して朝早く出かけるため、教会の方が
祖母の送迎をかって出て下さり、毎週礼拝に参加するようになったのです。
そして、去年の6月、祖母は79歳でイエスさまを信じ洗礼を受けました。あの急な引っ越しはこの為だったのだと神さまに心から感謝しました。
10月には、移住後一度も帰っていなかった故郷岩手に帰り、久しぶりに親戚に会いました。その中で祖母は、自分がクリスチャンになった事と、もう仏壇を拝まないという事をみんなに告げたのです。
私は祖母の発言に驚きましたが、親戚の皆さんは快く受け入れ、私たちの信仰を認めてくださいました。とても良い交わりの時となり、祖母の信仰を神さまに感謝しました。母と姉、弟も救われる事を神さまに期待しています。
献身
イエスさまを信じ始めた頃、有先生から「神さまに人生捧げないの?」とよく聞かれていました。私は、そんな事したら自分の人生では無くなるんじゃないかと思っていました。
しかし、聖書のみ言葉を知るうち「自分を造った神さまなら、私が歩もうとしている人生より良い人生を準備しているはずだ」と考えるようになりました。
人生を捧げるという事が頭から離れず、神さまに祈り続けていました。聖書を読んでいると、次の聖句が目に留まりました。
「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」 (使徒の働き20章24節)
このみ言葉から献身する決心をし、牧師先生に献身者になりますと伝えました。それからは、教会の奉仕などを任されるようになりました。
しかし、奉仕の中で自分の足りなさばかりが目につきました。特に賛美チームの奉仕を任された時には、技術の低さや心構えの面で他のメンバーとの差を感じ逃げ出したくなることもありました。
自分はふさわしくない。教会の皆に迷惑をかけていると思い込む時期もありました。そんな私を先輩たちは、熱心に教えて助けてくれました。また、2013 年から教会で「祈りの家」の働きがスタートした事で、教会に来て祈る時間が増え、毎日神さまと向き合う時間をもつことが出来ました。
ギターを2時間引きっぱなしの奉仕では、弱音を吐きそうになりました。
それでも、
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイの福音書6章33節
このみ言葉にしがみつき、神さまに頼りながら祈りと賛美に専念し続けました。2015 年からは24時間の「祈りの家」となりました。私は深夜の祈り担当となる事が多かったので、睡魔と闘いながら必死で祈り、自分の弱さを神さまに明け渡す訓練の時となりました。
継続した祈りの生活で、以前はすぐ自分を責めたり、恥じたりしていましたが、神さまに委ねみ言葉に信頼することが少しづつ出来るようになっていきました。
受けた愛を与えたい
神さまは私に、沢山の人との出会いを与えて下さいました。特に教会に通うきっかけを与えてくれたクリスチャンの友達が、私をありのまま受け入れてくれたことを感謝します。
また、教会のメンバー、職場の皆さんから沢山の愛を受けました。イエスさまを知る前の私は、劣等感と恥、死に対する恐怖心で一杯でした。イエスさまに出会い、自分は愛され尊い存在である事を体験し、これまでの歩みは全て神さまの計画だったと確信し、感謝しています。
今度は私が、苦しんでいる人やイエスさまをまだ知らない方に、イエスさまの愛を持って接していきたいと願っています。イエスさまの救いを一人でも多くの人に伝える事が出来るよう祈りつつ、これからも神さまに仕えていきます。