Christmas Message

光の中を歩む

沖縄中央アッセンブリー教会
牧師 知念聖

わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。ヨハネの福音書8章12節

イエスは光

世界で最初のクリスマスは、ライトアップされたツリーの輝きやネオンの光ではなく、主の栄光の輝きでした。主イエスが私達の上に輝いておられ、まことの光を照らしています。

イエスはご自分を「わたしは、世の光です」と言いました。また、ヨハネの福音書1章ではイエスを「言葉」としています。言葉の中には命があります。その命は人間を照らす光だと聖書では語られています。

私たちは言葉であるイエスの光に照らされなければ闇の中にいます。そしてヨハネ1章9節では「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」とあります。を消し去るがこの地上に来ました。その光であるイエスの誕生をお祝いするのがクリスマスです。 

しかし、光であるイエスを受け入れる事が出来ない人々もいます。ヨハネ1章5節の「闇はこれに打ち勝たなかった」を聖書原文から見ると、「闇はこれを悟らなかった」となります。

つまり暗闇を理解出来ません。神の存在や働きは、人間の理性や常識を超えたものです。神の救いというのは人が理解出来ない方法でやって来ます。

神の子イエスを信じるなら父なる神のもとへ行ける

今回の聖書箇所(ヨハネの福音書8章12節〜20節)は、イエスを受け入れることが出来ない聖書学者達イエスのやり取りが語られています。彼らは、どうにかイエスを逮捕できないかと考えます。なぜそのように考えたのでしょうか。

それは自分たちを差し置いて、イエスが群衆に聖書を教え、自分は救い主だと発言したからです。イエスの発言に対して彼らは「あなたの証言は真実ではありません」と言いました。これは律法を元にしたもっともな意見です。

しかし、イエスは「もしこのわたしが自分のことを証言するなら、その証言は真実です」と語られます。イエスは自分が何者であるかを知っています。私達は自分がどこから来て、どこへ行くのかを知る必要があります。この答えは、私達を造ってくださった聖書の神を知ることで得られます。

神の子であるイエスは神の心をよく知っています。私達はイエスを通して父なる神の心を知ることができます。そのイエスが教えていることは、私達は神に造られ愛され、イエスを信じるなら神のもとへと行けるということです。

光に照らされた者は希望を持って生きる

イエスは光です。クリスマスに全世界の人々へその光がプレゼントされました。光を受け取った者は闇の中から救い出されます。イエスが来られたのは世を裁くためではなく救うためです。

闇の中にいる私達が、この救い主イエスの光に照らされるとき、そこに浮かび上がるのは良くも悪くも正直な自分の姿です。暗闇で気付かなかったものがすべて光に照らされます。それは神を神とせず、言葉によって人を傷つけ、人を赦さず、悲しみと怒りに満ちた姿かもしれません。

しかし、その私達の罪を照らす光は、同時にその罪の赦しを与えて下さいます。イエスはあなたが滅びるのを決して望んではいません。「神に愛され、わたしに愛され、天へとつながる永遠の命を受けてほしい」と、光であるイエスはあなたの心に直接語りかけています。

イエスの救いを信じ受け入れるとき、神は私達を神の子として下さいます。そして聖霊によってイエスと一つになり、神と共に生きる新しい永遠の命に生かされます。私達の行きつく先は喜びに満ちた神の国です。ですから、喜びと希望をもって生きることが出来ます。

命の光を持つ

天を見上げてください。私達の上にはイエスが光り輝いています。光であるイエスが私達の歩みを一歩一歩と導き、人生のすべてをまことの光で照らしています。

クリスマスに、イエスはこの世の光として来てくださいました。

わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。ヨハネの福音書8章12節

世の光として来られたイエス・キリストを心にお迎えするなら、決して闇の中を歩むことがなく、命の光を持ちます。

このクリスマスにすべての人に与えられた神からの愛のプレゼントを、あなたも受け取ってください。それはイエス・キリストによって与えられている恵みです。イエスの光に照らされ光の中を歩んでまいりましょう。

メリークリスマス。

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