v94特集

私の命はイエスさまのもの

ショーン・シェイバースさん(57歳)

ショーン・シェイバースさん

この子は神さまからの贈り物

1966年12月25 日クリスマス。アメリカ・メリーランド州ボルチモア。18歳の少女はたった一人で分娩室に入った。明るく真面目で成績優秀、歌のコンクールではたくさんのトロフィーを獲得した彼女の夢は、ブロードウェイで歌手になること。しかし、若気の至りだった。夫になるはずの男性は、みごもった子どもを堕ろすよう言ったが、「この子は神さまからの贈り物なの。私一人でも育てるわ」と彼女の決意は堅かった。「神さまからの贈り物」と言う意味を込めて、赤ん坊は「ショーン」と名付けられた。それが私の人生の始まりだ。


 母が生まれた家は、劣悪な環境だった。家庭内では暴力、アルコール、ドラッグが蔓延。私の祖父と祖母はアルコールと麻薬に溺れ、母の兄妹は同性愛や不品行に陥っていた。当時、黒人の大半は貧困でまともな仕事がなく、金が欲しければストリートで麻薬を売るしかない。10代の妊娠は当たり前で、学校に行き良い人生を築くという概念など誰も持ち合わせていない。ただ、7人兄妹のうち、母だけが敬虔なクリスチャンの曽祖母の家で育てられたことは、神さまの不思議なご計画だった。


 私を産んだ後、母は2つの仕事を掛け持ちしながら夜間大学に通った。そのため私は、親戚の家に預けられることが多かった。2歳の頃、母は別の男性と結婚。彼は陸軍兵士で、男らしく聡明な人だった。若い両親は、この貧困社会から抜け出そうと、毎日身を粉にして働いた。そのうち、母は夜間大学を卒業し教師の仕事を得る。幼い私は、親戚の家で劣悪な環境を目の当たりにしながら育った。また、一人っ子で守ってくれる兄弟がいなかったため、イジメの格好のターゲットだった。強くなりたいと、映画で見たブルース・リーに憧れ、中国拳法を習い始めた。

母と一緒に

 

3つの心と2つの顔

 小学校に上がる頃には、この貧困地域の住人たちと同じような生活習慣が染みつき、違和感を感じることすらなかった。その頃から、私の中に3つの心が芽を出し始める。一つは、母に似た優しさ。母は平日は忙しく働き、週末は自分の親兄妹の様子を見に行っては世話をしていた。子どもながら、その優しさには驚きを隠せなかった。だから母のように、近所の人のお使いをしたり、人に親切に接していた。


 二つ目は、新しい父の知恵と男らしさ。父はスポーツマンで、週末はよく二人で汗を流して遊んだ。男としての振る舞いや、物事を計画的に考えることを教えてくれた。三つ目は、実父の心だ。実の父は母が妊娠した時も、構わず複数の女性と関係を持っていたという。そのDNA は、私の中に刻まれていた。

 中学になり自我が確立してくると、学校や近所ではお利口さんを装い、放課後は悪い遊びに手を出していた。高校になるとさらにエスカレートし、表の顔はみんなのリーダー的存在で近所でも優しい人気者。夜になると女の子をナンパし、酒を飲んでは喧嘩に明け暮れ、男らしさと強さを誇示する。3つの心と2つの顔をうまく使い分け、自分勝手な道を歩んでいた。

 その頃、叔母に日曜礼拝に誘われて時々ついて行った。しかし、この劣悪な地域にある教会に来る人たちは、アルコール中毒やドラッグ中毒、麻薬の売人たちが大半をしめ、日曜日にだけしゃがれた声で「ハレルヤ」などと言ってゴスペルを歌っている。しかも、椅子の下に酒瓶を隠して飲んでる大人もいた。そんな礼拝に魅力も意味も見い出すことなどできず「教会って、クリスチャンって何なんだ」と幻滅していた。

 母は神さまを信じてはいたが、忙しさで教会に行っておらず、父はクリスチャンではなかった。家では神さまや聖書の話は一度も耳にしたことがない。


 ある夜、神さまと自分の身勝手な思いのはざまで葛藤していた。部屋の窓から空を見上げて、「Let mego ! Let me go !」(私を放っておいてください)と祈り、神さまを頼らず、自分の思い通りの道を生きると決めた。

自由の身

 17歳で空軍に入隊。父は「男なら自分の道は自分で決めろ」と後押ししてくれた。しかし、母は「大学はどうするの?将来は?」と最後まで心配していた。軍隊では、衣食住のすべてが提供され、給料も高額だ。さらに、夜間大学入学試験の免除というオプションもある。それを口実に何とか母を説得し、母は泣きながら入隊許可書にサインをした。

 地元ボルチモアの基地へ配属され、晴れて自由の身。それからはやりたい放題だ。しばらくすると、カリフォルニアの基地へ移動することが決まった。私の育った東海岸とは気候も文化も正反対の西海岸。ハリウッドや美しいビーチを想像し、楽しみで仕方なかった。当時のカリフォルニアでは、東側の黒人文化はスタイリッシュだと特別視されており、配属後には女性たちの人気者になった。

 また、西側ではギャングたちの抗争が頻発し、私と数人の新兵たちもその渦中にいた。軍のトラック運転手に敬虔なクリスチャンがいて、会うたび「お前たち、こんな生活を続けていると地獄に落ちるぞ。立ち返って神を信じろ」と忠告された。彼のようなクリスチャンを見たのは初めてで、冗談半分で聞くものの、彼の言葉を心に留めていた。

 母は私の入隊をきっかけに、自身の信仰生活を悔い改め、再び教会へ通うようになっていた。手紙や電話では「私の愛する息子。あなたにはイエスさまが必要よ。神さまはあなたを愛しているの」と言うのが決まり文句となったが、当の私はうわの空だ。


 そのような生活の中、ギャングとの女性問題や麻薬売買の問題で命の危険を感じていた。このままここにいては、死ぬか刑務所に行くしかない「生き方を変えなければ」と、移動願いを出した。第一希望に憧れのブルース・リーの国「China(中国)」と書いた。同僚に「頭悪いのか、中国に米軍基地があるわけないだろ」とからかわれ、「アジアだったら日本に行けよ」と勧められるが日本には興味がなかった。


 「じゃあ、沖縄はどうだ」と聞かれたが、太平洋戦争のことも知らなかった私は、沖縄がどこにあるかもわからなかった。調べるてみると台湾の近くで、歴史的に中国の影響をよく受けていると知った。また、極真空手を習いはじめたこともあり、沖縄への移動願いを出した。

入隊当時
沖縄へ

 当時、軍人の間での沖縄の呼び名は「The Rock」(岩しかない場所)と言われ、生き方を変えるには最適だと思った。約30時間の長いフライトを終え、飛行機は嘉手納基地に降り立った。搭乗口を降り、初めて沖縄の景色を見た瞬間、耳元で「あぁ、ここが我が家」と小さな声が聞こえた。「今のはなんだ?」不思議に思いながらも、その足で兵舎へ向かう。


 自分の部屋の前まで来た時、後ろから聞き覚えのある、しかし、聞きたくもない声が聞こえた「へーイ!シェイバース!」ボルチモア時代の悪友は、歓迎の意を込めて後ろから力いっぱいハグをかましてきた。「聞けよ、ここは最高の場所だぜ!」私の人生再生計画は一瞬で崩壊したのだ。


 次の日から、仲間たちと北部のフィリピンパブに繰り出し、夜な夜な遊び呆けた。パブのママさんに基地内で仕入れた日用品を渡すと、お店の女性を毎回紹介してくれた。


 それに飽き足らず、黒人仲間の間ではあまり人気のない場所、中部地区へ繰り出す。日本語を勉強し、覚えた単語を紙に書いて酒場へ行き、「日本語を教えて」を口説き文句に女性たちの気を引くと、ナンパは毎回成功した。外では本名を明かさず「LA」という通り名で人気者になった。バーのオーナーやタクシーの運転手には、ウィスキーやタバコをワンカートン渡してひいきにしてもらった。街を歩けばどこでも「LA ! LA ! 」と声をかけられるようになった。


 それから、日本人のエスコートがなければ入れない那覇の歓楽街にも足を運ぶようになった。私の戦略はこうだ。「音楽だけ聞かせてください」と、大人しく店の隅で一杯だけ飲んで帰る。それを繰り返して信用を得ていった。最終的には、バーのマスターに本場のファンクロックのカセットテープをプレゼントして心を掴んだ。しかし、ヤクザとも繋がりを持ちはじめたことで、警察にマークされるようになった。このままでは逮捕は確実。外に出るのを控え、しばらく基地の中で隠れて過ごした。

勘違いのバプテスマ式

 半年ほど経ち、また基地の外へ出かけるようになった頃、運命の女性に出会う。彼女とはすぐに意気投合し、お付き合いが始まった。彼女の妊娠がわかった時、彼女は入信していた新興宗教のリーダーから、堕胎するように命令された。

 「そんなバカな話があるか」すぐに基地内の教会の牧師に相談すると、日本人教会の牧師を紹介され、彼女とその教会に行った。牧師は「お腹の子を堕胎することは、殺人の罪と同じです。あなたが本当に神さまを求めているなら、イエス・キリストを信じ受け入れ、ちゃんと結婚して子どもを産みなさい」と言い、彼女はその言葉に心打たれ、その場で悔い改めてイエスさまを信じ、教会に通い始めた。お腹の子を堕ろさずにすんで一安心したが、彼女を救ってもらった手前、私も教会へ通いはじめた。


 しかし、アメリカにいた頃の教会のイメージが強く、クリスチャンは自分の力では何もできない弱い人間だと思っていた。ある日牧師に「ショーン、復活祭の日に君もバプテスマを受けないか」と声をかけられた。私は、母がバプテスト教会に行っていたため「オーケー!先生!私もバプテスト」と返事をし、バプテスマを受けることになってしまう。


 私が勘違いしていることに気づいた牧師は、イエス・キリストが私の罪のために十字架で死なれ、3日目に蘇れられたことを話してくれた。その時初めて、私の耳に福音が入って来た。

妻の三也子さんと共にバプテスマ(1990年4月15日)

 

あなたが本当の神さまなら

 バプテスマ当日。その日はビーチでの野外礼拝。決心のつかないまま礼拝が始まり、若者たちがスキット(無声劇)を披露していた。

 劇のストーリーは、神さまが人を創造するところから始まる。人は罪を犯して神から離れ、自分勝手な道を歩き始める。そこに一人の女が現れ、男を惑わし、快楽を与えた後、彼を捨てて去っていく。失意の中、男は金を追いかけ富を得た。しかし彼の心は満たされない。その後、男はありとあらゆる快楽に手を染めるが、何も彼を満たすことはできない。失望にまみれた男は、とうとう自分の命を断とうとする。悪魔はそれを見て、高笑いした。そのストーリーに「まるで俺の人生じゃないか」と心が苦しくなった。

 劇はまだ続く。今まで男が避けてきたイエスさまが彼の人生に来られ、彼を惑わした快楽を退け、救い出した。そして、彼が犯した罪の責任を代わりに背負い、殴られ、罵倒され、最後には十字架につけられた。死んだイエスさまを、悪魔とその仲間はあざけ笑っていた。

 その時、カウントダウンが始まった「3・2・1、バーン!」イエスさまは復活して、悪魔とその仲間たちを倒したのだ。「ウォーーー!」私は抑えきれず叫び声をあげ、思いっきり拳を突き上げた。


 今まで信じてきたものとは全く違う、パワフルなイエス・キリストを見たのだ。「これが本当のイエス・キリストなのか?」


 礼拝も終わり、バプテスマの時間が近づいてきた。バプテスマを受けるメンバー(私と妻と他に3人)を教会の人たちが祈ってくれた。しかし、心には葛藤が渦巻いている。「イエスさま、あなたが本当の神さまなのか?俺が今まで見てきた教会やクリスチャンは何だったんだ。教えてくれ!」


 心の中で格闘していた。体はこわばり、力の限り祈ったが答えはわからない。5分か10分か、震えながら祈る私を周りにいた人はまじまじと見ていたが、こんな哀れな姿を見られたくないと立ち上がってビーチに走った。そこに一人の牧師が近づいてきて、肩に手を置き何か話している。心の中で「俺に触るな」と叫ぶが声は出ない。その時、心の中で別の声がした「お前の名前はLA。お前の名前はLAだ。金も力も女もある」また別の声がした「あなたの名前はショーン。私はあなたを愛している。あなたのために十字架で死に、あなたのすべてを赦した」悪魔とイエスさまの声が鳴り響いていた。


 「うわぁー」心の中で叫び、涙は砂浜に落ちた。すると急に静かになり、「あなたは生まれ変わった」と優しい声がした。顔を上げると空には鳥が舞い、沖縄の海を初めて美しいと思った。振り返ると教会のみんなも泣いていて「イエスさま感謝します。ハレルヤ!」とイエスさまを賛美していた。妻も泣いていた。彼女を見つめると、今まで女性に抱いていた思いが変わっていった。幼い頃から、女性は所有物、トロフィーだと思っていた。しかし、この人は神さまが私に与えた、壊れやすく繊細で、何よりも大切にしなければならない「妻」なんだと知った。妻は私に寄り添い、私たちは2人で泣いた。


 その日、私はイエス・キリストを自らの救い主として信じ、バプテスマを受けた。

空手教室「真命道」

私の命はイエスさまのもの

 月曜の朝、友人が勢いよく部屋に入ってきて「週末はどうだった?どんな悪さをした?何人の女と遊んだ?」今までそんな会話が当たり前だった。私は、どうすれば良いのか、何を話せば良いのかわからない。

 体に強い力が入ったように感じた瞬間、座ったままの体勢から飛び上がると勝手に言葉が出てきた。「俺は昨日イエス・キリストを信じてバプテスマを受けたんだ!イエスさまは本当の神さまだ。俺はこの神さまを信じる!」友人は驚き、しばらく固まってしまった。彼は、ハッとしたように後ずさりして「そっそうか、それは良かった。じゃあな」と部屋から出ていった。

 後日、牧師にそのことを話すと、「それは聖霊の働きだ」と教えてくれた。それからの人生は、今までとは真逆の歩みだ。イエスさまを信じて祈り、聖書のみことばに聞き従うことを選んでいった。しかし、信仰の人生はそう簡単なものではない。毎日が戦いの連続だ。何度も自分の弱さに打ちのめされ、誘惑と戦い試練を乗り越えてきた。その中でイエスさまは奇跡を起こし「イエス・キリストこそ本当の神さまだ」と確信を与えてくれた。


 そして、私には10人の子どもと5人の孫が与えられた。こんな素晴らしい家族を与えてくださったイエスさまに心から感謝している。今は、牧師をしながら公立中学校の英語教師として働いている。また、2022年からは、地域の公民館で空手教室「真命道」(ヨハネの福音書14章6節より命名)を開校した。


 私の命はイエスさまのもの。だから、私の行くところはどこでもイエスさまを証しする場所だ。その愛を言葉ではなく、私の生き方によって証しするものであるようにと心から願っている。


「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」ガラテヤ人への手紙2章20節


 イエスさまはあなたを愛しています。あなたの人生にも、イエス・キリストの永遠の命の祝福があるように心から祈ります。

家族写真

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