v72 特集
神の憐れみの中で
盛本昌秀さん 有限会社みなと薬品代表取締役
私は久米島出身で、1960 年に那覇市の高校に入学するため、本島に移り住みました。姉が看護師として那覇市の病院に勤めておりましたので、高校時代は2人で生活していました。
彼女はクリスチャンになっており、毎週日曜日は教会に出かけて行きました。その頃、姉から福音を聞くことはありませんでした。しかし、身内にクリスチャンが居たことは、その後の私の人生に少なからず影響を与えたように思います。
1969 年、クリスチャンの女性と結婚しました。彼女のご両親は、家の離れを祈祷室にするほど信仰熱心な方でした。結婚の挨拶に彼女の家を訪れた際、妻の両親は「結婚するなら教会に行きなさい」と仰いました。私は建前上「はい」と約束を交わしました。
しかし、妻と3人の子どもたちだけが毎週礼拝に参加し、私は、クリスマスなどの特別な行事に招かれて行くだけで、結婚後20年間教会に通うことはありませんでした。
薬局開業
1977 年、妻と2人で薬種商販売資格を取得しました。1980年には、那覇市曙にて「みなと薬品」を設立。当時は夫婦2人だけの小さな薬局でした。
私たちの働く姿を見てか、長女は将来薬剤師になりたいという夢を持ち、高校は進学校への進学を希望していました。1988 年2月、娘の高校受験1ヵ月前のことです。クラス担任と塾の教師から「今の学力では、希望する高校には合格できません」と言われ、どうしたものかと非常に悩みました。
妻に「あなたがイエスさまを信じて祈れば、娘は必ず合格する」と言われ、娘を思う気持ちからイエスさまを信じようと決めました。同じ月の14日、信仰告白をしバプテスマを受けました。
それから1ヵ月間、高校合格のために、毎日妻と必死で祈りました。2人で聖書を読んでいると、み言葉が与えられたました。
「あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を固く握り、『恐れるな。わたしがあなたを助ける』と言っているのだから。」 イザヤ41章13節
娘の受験表の裏面にもそのみ言葉を書いて渡しました。そして、合格発表の日、なんと掲示板に娘の受験番号がありました。無理だと言われていた志望校に、合格することができたのです。この神さまは本当に奇跡のお方だと思いました。
信仰の戦いが始まる
それから3年後、大学受験を前にした長男が、薬剤師になりたいと言い出しました。彼は小学2年生から水泳をしており、高校はバタフライの国体選手になるほどの実力を持っていました。
水泳中心の生活で勉強はほとんどしておらず、彼の学力では薬学科のある大学に行くことは到底無理だと思いました。それでも、受験勉強を頑張っている息子のために、妻と毎日徹夜で祈り初めました。娘の時のように、受験当日は聖書のみ言葉を渡して送り出しました。
しかし、結果は不合格。2年後なんとか合格しましたが、大学入学後も留年したり、卒業後も国家試験になかなか合格できず困難な道のりでした。そして、高校卒業から12 年後の2001 年、国家試験に合格することができました。
その12年間、何度も信仰を離れそうになりました。こんなに祈っているのに、なぜ神さまは聞いてくださらないのか。神さまを否定したり、教会から足が遠のく事もありました。
そのような時、娘の高校受験の奇跡が脳裏によみがえってくるのです。その時の事を思い出すと、順調に事が進まなくても信じて祈ろうと思い直すことができ、教会にも再び通うようになりました。
また、次男も薬剤師になるため、薬学科のある大学に進学しました。ある日彼から、学科試験のために家で勉強するべきか、教会の祈り会に参加するべきかと相談を受けました。私と妻は「神さまを一番にして、教会に行きなさい」と助言しました。彼は祈り会に参加する事を選びました。
神さまは彼の信仰に応えてくださり、学科を一つも落とさずに大学を卒業し、国家試験にも合格することができました。
3人の子どもたちは、念願だった薬剤師になることができました。子どもたちのために祈ることで、祈りと信仰の訓練をしたように思います。毎朝祈りとみ言葉で一日を始めるうちに、心からイエスさまを信じるようになっていました。
そして、不思議な事に私自身の性格も変えられていきました。若い頃から妻に「盛本タンチャー」と言われるほど短気な性格でした。
会社で従業員を雇えるようになった頃は、厳しい指導をして、とても恐れられていました。家庭でも、ほとんど笑
う事はありません。子ども達は私の声を聞いただけで、直立姿勢になるほど、私を恐れていました。
そんな私が、従業員に優しく指導するようになり、家で笑うようになっていました。「盛本さん怒らなくなりましたね」と、周りに言われて初めて気がつくほど、自然に変えられていました。
また、人前で話すのはとても苦手で、親戚の集まりの挨拶でさえも逃げ出すほどでした。イエスさまを信じてからは、以前より人前で話せるようになり、親戚は「こんなに変わるものかね」と驚いたほどです。
祈祷院建築
当時通っていた教会の牧師先生が様々な問題に対して断食して祈っておられました。毎日教会と信徒たちのために祈っておられる姿を見て、牧師先生が集中して祈る場所が必要だと思い、大宜味村に所有していた別荘を祈祷院として開放し、先生に使って頂きました。
先生は、時折り大宜味に通われ、祈りを捧げておられました。この出来事から、「多くの牧師先生方が祈れる場所を作りたい」と強く思うようになりました。
長男が国家試験に合格した2001 年、当時貯めていた預金を全て使い、名護市真喜屋に新しく祈祷院を建設しました。教団、教派を超えた牧師先生方の祈りの場になってほしいと始めた祈祷院ですが、今ではたくさんのクリスチャンの方に利用して頂いています。
新都心で2店舗オープン
2002 年9月20日、ヴァインドラッグ銘苅店を、翌月10月1日に県内大手ショッピングセンター店を続けてオープンしました。この2店舗を開店した時も、不思議な事が起こりました。
当初、南風原町に土地を見つけ、そこで新店舗を建設する予定でした。地主さんから「火曜日に来て下さい」と言われましたが、毎週火曜日は妻と祈祷院に祈りに行く日でした。
神さまを最優先に考えていた私は、水曜日に変更して頂きました。約束の日に会いに行くと「あの土地は昨日売れた」と言われたのです。約束を破られ、怒りを覚えました。
しかし、「神さまを優先したのだから、なにか計画があるのかも知れない」と思うようにしました。
その後すぐ、開発中だった那覇市の新都心にある銘苅の土地が与えられたのです。それと同時期に、新都心に建設中
であった大手ショッピングセンターから出店の誘いを受けました。
銘苅に土地建物を所有しているということが会社の信用になり、出店の誘いをして下さったようです。前の年に貯金をはたいて祈祷院を建築したばかりでリスクはありましたが、店舗拡大には良い機会だと思い承諾しました。
しかし、銀行から融資を受ける事はできたものの、毎月の借金返済と店舗の運営資金不足に押し潰されそうになり、目の前が真っ暗になりました。
ある朝、出勤するのが怖くなり、車のエンジンを掛けても足が震えて発進する事ができません。異変に気付いた妻が、「どうしたの?」と声をかけ、私の表情を見てとっさに祈ってくれました。妻は子どもたちにもこの状況を電話で伝え、祈るように頼みました。
数日後、福岡で働いている長男から手紙が届きました。
「僕たちは、お父さんの仕事を頑張る背中を見て、ここまで来れました。だから諦めないで下さい。」
祈る事さえ難しくなっていた私を、息子は手紙で励ましてくれました。そして、神さまに祈り聖書を読むと、このみ言葉に励まされました。
「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」 ローマ8章18節
今がどのような状況であろうと、神さまは必ず栄光を現してくださる。このみ言葉を信じ、毎日仕事に励みました。
そのような中、あるダイエット商品を取り扱う事になりました。売り始めるとすぐに大ヒット商品になったのです。絶望に打ちひしがれるほどの借金を、ほぼこの商品の売り上げだけで、たった2年の間に繰り上げ返済することができました。
それだけではありません。大手ショッピングセンターの系列店でも新たに出店することができました。現在は14店舗に増え、夫婦2人で始まった薬局も115人の従業員を抱えるほどになりました。
本土の大手ドラッグストアが県内で店舗数を増やしている中、私たちのような小さな薬局がここまで成長することができたのは、人の力ではありません。
不可能と思えたことに、神さまは奇跡を成し遂げて下さいました。神さまの準備されている道は、私の想像を遥かに超えたものでした。会社経営をする中でも、神さまの偉大さを改めて知っていきました。
店舗2階で教会が始まる
2008 年、福岡で働いていた長男が沖縄に帰ってくることになりました。息子は薬局で働くかたわら、神学校にも通っていました。教会では青年たち、特に不登校の子どもたちのために、献身的に奉仕しておりました。
沖縄に帰るにあたり、牧師先生から「帰るなら、沖縄で教会を開いてみてはどうか」と福岡の教会を母教会として教会を始めることをすすめられました。
新都心にある銘苅店は、設計の段階から2階部分を教会として使用できるように作っていました。当時は、通っていた教会の伝道所として使えるようにと思っていたのです。まさか、自分の息子が牧師として教会を始めるなど考えてもいませんでした。
今まで大変お世話になった教会に挨拶をし、「沖縄ハーベストチャーチ」がスタートしました。神さまは、本当に憐れみ深い方です。このような私を救って下さっただけでなく、家族も仕事も祝福し、長男を牧師にまでして下さいました。
末期癌からのいやし
2019 年8月6日、その日は一度もトイレに行くことが無く「これはただ事ではない」と思い翌日病院に行きました。
PSA 血液検査を受けたところ、数値が異常に高い事がわかりました。さらに詳しい検査の結果、末期の前立腺癌で、骨、肺、リンパに転移していると診断されたのです。
医者からは、「余命5年です。来るのが遅すぎました。」と告げられました。その時、心の中に2つのみ言葉が思い起こされました。
「わたしは主、あなたをいやす者である。」 出エジプト記15章26節
「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」 マタイ8章17節
心が平安になり、必ずいやされるという強い確信が与えられました。同席していた妻と2人の息子はショックを受けていましたが、平然としている私を見て不思議に思ったそうです。
診断を受けたその日から入院する事になり、私は与えられたみ言葉が実現するようにと祈り始めました。翌日、私が入院していることを知って、知り合いの牧師先生や、教会の人たちが来られ祈って下さり、本当に感謝しました。
入院から約1ヵ月後の9月2日、再び検査を受けました。驚く事に、PSA 血液検査の数値は大幅に低下していました。翌月の10月18日には正常値に戻っており、これには医者も驚いていました。
体のいたる所にあった癌は、ほぼ消えてなくなり、医者から退院の許可を頂きました。今は骨に少し残っている程度で、3ヵ月に一度、検査のため通院しているだけです。
また、妻と毎月第4週の1週間を利用して、8年前に購入した本島北部にあるコーヒー農園で農作業ができるまでに回復しています。信仰による祈りには本当に力があることを日々体験させられています。
神さまに祈ると、いつも心に平安が与えられます。聖書のみ言葉は、今までの生き方を変える力がありま
す。神さまの恵みによって、自力では到底できないことを体験してきました。
今までの人生を振り返ると、私自身に誇れるものは何もありません。聖書に書いてある通り、全て神さまの憐れみによる事です。この事を皆さまにお証し致します。
「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」ローマ9章16節