ライフセンター文書伝道のバトンパス
那覇書店からビブロス堂へ
一台のリヤカーから始まった、いのちのことば社の文書伝道。主の大宣教命令 (マタイ28章18〜20節) を土台に全国各地にライフセンターを展開してきた。そして、50年にわたる那覇書店の働きは、新たにビブロス堂へと受け継がれていく。
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしは天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいた全てのことを守ように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイの福音書28章18節〜20節
ライフセンター 那覇書店誕生 初代店長 嶺井悦子さん
1970年9月1日。地元教会の牧師たちの祈りと協力のもと,那覇市・国際通りの裏通りにライフセンター書店は生しました。
いのちのことば社の創立者 、故ケネス・マクビーティ宣教師の回顧録小さな種からには「へんぴな場所だった」と当時の記録が残っています。3階建てビルの3階、8畳ほどの小さな場所からのスタート。初代店長は、新潟の聖書学校を卒業したばかりの嶺井悦子さん。当時本は船便で輸送され、注文から到着まで少なくとも二週はかかりました。到着が遅れ、よく港まで取りに出かけることもあったそうです。その時働いていたのは、嶺井さんと別の女性スタッフ二人だけ。届いた大量の本を3階まで運ぶのはかなりの労働だったと、お客さんとして来ていた2代目店長の兼島義男さんは話してくださいました。
店経営のノウハウも知らず、それでも文書伝道の働きに従事した嶺井さん。彼女のことをケネス・マクビィーティ宣教師は「彼女は新しく植えられた『木』がこの地に根付くまで、プレッシャーや失望とよく戦ってくれた」と回顧録に感 を めて振り帰っています。
その後ライフセンターは、文書伝道への熱い思いをつないでいった店長達と、沖縄の教会の協力を得て大きく成長し、宣教に邁進していきます。
2代目店長 兼島義男さん
今回、お会いして当時の状況を教えて下さった 代目店長の兼島さん。その人柄は兄 でエネルギッシュ。その手腕で沖縄の教会を巻きんでいきます。
店長に就任したのは、1973年。それまで、自身の信仰成長のためにと、ライフセンターや沖縄市 屋にあった沖縄キリスト教書店によく通っていました。元は米軍基地で働いていましたが、人員整理のための大量解雇にあってしまいます。ちょうど男手の必 だったライフセンターで働かないかと誘いを受け、迷いなく引き受けたそうです。
「書店で出会った本に信仰が燃やれ、文書伝道の重要性を身をもって体験していたので、二つ返事でお引き受けしました」と兼島さん。店長になってすぐ、那覇市久米にあった、たがみ医院(オリブ山病院の前身)が引っ越すにあたり、病院地に新しく宣教のための建物を建てるので使ってほしいと、院長の田頭政佐先生からお話を受けました。田頭先生はライフセンターを熱心に支え、新しい建物が立つまでの 、自宅の1階部分を書店として提供してくださいました。
やがて、たがみ医院後地に3階建ての沖縄福会館が完成します。 3階は県外から来る牧師の休息のための宿舎 。2階は聖書の学びや会議などに使う場所として。その1階でライフセンターが新しく始まりました。兼島さんは、文書伝道の働きが拡大していくぞと、期待に溢れていたそうです。しかし、来店客は多い時で10人程度。良い本があるのにもったいない、みなさんに知ってもらうにはどうすれば良いかと考え、自らの足で県内の各教会を訪問しました。新刊の紹介をし、注文を取り配達に伺う。1日10件以上の教会へを運んでいたといいます。その当時を兼島さんは「毎日朝から晩まで働き詰めで、今えるとよくやっていたなと思います」と感慨深げでした。
また、先生方のニーズもわかるようになり、教派によって求めている本が違うことに気づきました。注文を受けてから本を取り寄せるのではなく、必要と思われる本を前もって注文し、書店に常備するようにしました。欲しい本がいつでも購入できるようになり、次第に先生方の来店が増えました。
しかし、教会の信徒の方はあまり来店されません。もっと教会の皆さんに利用していただくために、 超教派という立場を生かして出来ることはないか考えます。そして、教役会にも出向いて必要をお伺いしました。
すると、教会学校 CS 教師の学びの場がないこと。加えて、子ども向け教材の不足を知りました。早速、本土の子ども伝道で著名な先生に、研修会を けないかとお手紙を送ります。当時は資金不足で少ない謝礼しか提示出来なかったのだそう。しかし、沖縄の教会学校の事情を知った先生は、快く引き受けてくださいました。南 ・中 ・北 のカ所で研修会を開催すると、それぞれ60人ほどが まり好評を得ました。それからは、CS関連の本やグッズを買いにくる方が来店するようになり、客層は広がっていきます。
ある時、いつもの様に教会訪問をしていると、礼拝堂でカバーに覆われたドラムやギターを目にします。先生にお伺いすると「 賛美のために買ったはいいが扱える人がいないんだよ」と仰います。その言葉に思い立ち、小坂忠先生に沖縄で賛美セミナーを出来ないか相談 。小坂先生は快く引き受けてくださり、沖縄祈祷院を借りて2泊3日の賛美セミナーを開催。多くの若者が参加し、礼拝の心得や楽器と機材の扱い方などを学ぶ良い会となりました。
さらに地域教会と協力して、沖縄市のホールで小坂先生のコンサートも開催。1,000人以上の若者が訪れ、伝道の場にもなりました。その後も、著名人をゲストに迎えた婦人会ランチョン。ビジネスマン伝道や「塩狩峠」「海嶺」などの映画会も好評を得ました。書店をイベントの打ち合わせ会場として使ってもらうことで、青年たちも来店するようになり、幅広い年齢層にライフセンターは浸透していきました。
「イベントを して、クリスチャン同士のつながりが強められていきました。沖縄の教会はみんな一生懸命伝道しています。しかし、小さな教会では不足していることも多くあります。ライフセンターがその必要の助けになればと常に考えてきました。超教派の働きには、難しい問題も出てきます。しかし、私たちはイエスさまの十字架と復活、福音においては一つになれると信じ、多くの教会と協力して宣教ができたことを感謝します」
当時を振り りながら、現代においても信仰書の必 性を る兼島さん。「本が売れないと われる時代でも、霊性の支えと信仰成長のために、地域に一つはキリスト教書店が必要。悩みの中にある人たちに、本を薦めて喜ばれたことが何度もあります。クリスチャンにとって何をおいても本は大切だと確信しています」
3代目店長 惣慶毅さん
兼島さんの後を継いで1991年に店長に就任したのは、2011年に病気で召された惣慶毅さんです。惣慶さんは、移動販売者ゴスペルボックス発案者の一人。沖縄は離島が多いため、普段書店に行けない方でも本やグッズが手に入るゴスペルボックスは、画期的だと大歓迎されました。その名の通り、「良き知らせ」を乗せて日本中を走り回っていました。
惣慶さんを知る方は彼のことを、人懐っこい・勉強熱心など、興味深い人となりが伺えます。惣慶さんに会うためにライフセンターを訪れるという方や、彼に薦められるとどんな本でも買ってしまうという方など。人に愛される人柄だったのでしょう。
妻の美智子さんは「主人は文書伝道に情熱を注ぎ、いつも忙しく び回っていました。主人亡き後に牧師さん方に、惣慶さんにこんな本を められた、などと懐かしんでいただいています」と過去のいのちのことば社のインタビューに答えておられます。
惣慶さんについて、現店長の中村さんは「来店した人の顔・名前・所属教会・好きなジャンルの本を全て頭にインプットしていて、聞けばなんでも答えてくれるすご業をもっていました」と話します。中村さんが採用面接でライフセンターを訪れた時には、惣慶さんの体は病に侵され、後継者が現れる様に必死で祈っていたといいます。
教会に仕え、兄弟姉妹、牧師先生方とは心を通じ合わせるほどの仲だったと、当時を知る人たちからお伺いしいました。惣慶毅さんの20年以上に及ぶ愛の労苦と、信仰の働きに、同じ文書伝道として敬意と感謝を送ります。
4代目店長 中村信義さん
現店長の中村信義さん。物腰が柔らかく、いつも笑顔の人柄は、すでにお馴染みの姿です。しかし、店長就任時は信仰が試され、自分の足りなさとの戦いの連続だったといいます。
中村さんがライフセンターで働き始めたのは35歳。それまで勤めていた塾講師を辞め、別の仕事を探していた時、教会の牧師先生からライフセンター求人の話を伺いました。軽い気持ちで書店を訪れたのですが、惣慶店長の文書伝道とは何か、という2時間にわたる熱い講義に圧倒されてしまったとか。
「ここにあるのはただの本ではありません。この一冊の本にどれだけの人の祈りが込められていると思いますか。多くの人の願いと祈りの詰
まった本を売る、それが私たちの仕事です」
あまりの熱量に心の中で「私には無理だ」と思ったそう。面接の最後に「ライフセンターで働くことを祈ってくれますか」と聞かれ、思わず「はい」と答えてしまいます。家に帰って奥さまに相談するも、口からは「嫌だ」「できない」など否定的な言葉ばかりが出てきます。そんな中村さんに奥さまは、「いつも神さまに用いられたいと祈っていながら、頼まれたらやりたくないなんておかしい」と言い放ち、はっとさせられます。そして、二人で神さまの
御心なら道が かれるようにと祈りました。
ライフセンターで働くと言っても、研修を受け入社試験に合格しなければなりません。2009年、神奈川県のライフセンター横浜書店へ行き、研修を受け入社試験にも合格。神さまの御心だと受け取り、晴れていのちのことば社の社員となります。そして2010年4月。沖縄へ戻り店長に就任。
その頃、惣慶さんの容体は悪く一緒に外回りへ行けたのは2〜3回ほど。翌年1月、惣慶さんは天に召されます。寂しい気持ちと、もっとたくさん教わりたかった、という複雑な思いがありました。しかし、「仕事をご一緒した時の、お客さまへの接し方や考え方、何より文書伝道に対する熱い気持ちは忘れることはできません」と最後まで文書伝道 としての使命を全うする背中を見せてくれた、惣慶さんへの感謝を語っていました。
ほぼ未経 からのスタート。しかし、牧師先生方や教会のみなさんに助けられ、4代目中村店長の歩みが始まります。
沖縄生まれのナイチャー (内地の人)として育った中村さんは、沖縄の文化や習慣に馴染みがありませんでした。教会を訪問すると、先生たちはいつも茶菓子を出してくださいます。中村さんは、断るのが当然の礼儀だと思い、毎回お断りしていたそう。それを見てある先生が「中村さん、沖縄ではね、出されたものを食べるのが礼儀なんだよ。それで心を開くんだよ」と丁寧に教えてくれたのだとか。それからは今までの失敗を取り返すように、出された物は完食するようにしているといいます。
また、接客に関しても、本土と沖縄では少し違うのだそう。研修では、丁寧な接客方法を学んできました。しかし、惣慶さんや沖縄の店舗スタッフが、お客さまにとてもフレンドリーに接しているのを見て、何かが音をたてて崩れました。戸惑いながらも同じように対応していると、お客さまも心を開いて下さっている様に感じたそうです。「 足りない自分に落ち込むこともありましたが、その度に牧師先生や教会の方のご指導に励まされながら、仕えて来れたことに感 しています」
ライフセンターは、常々教会のニーズに応えながら宣教の助けになるように務めてきました。朗読会やインストアライブなど、小さなスペースで出演者と観客の距離がとても近いイベントを 催してきました。「今思えば、音響などの知識のない私がコンサートライブを開いてしまい、設備の整っていない中で歌って下さったアーティストの皆さんに本当に感謝します」と恥ずかしそうに話しておられました。
中村さんは、この仕事をしていると様々な出会いと証しに巡り会うといいます。いくら伝道しても相手に世の中の知識で応戦され、毎回言いくるめられてしまう。という方がいました。そんな時書店を訪れ、その相手にぴったりな本を見つけ「これなら勝てる」と張り切って買っていかれたのだとか。
また、教会に来たばかりで初心者向けの本を買っていた方が、いつしか「今度神学校に行くんです」と難しい信仰書を買い、今では牧師先生になっていたり。ゴスペルボックスで年に1度訪れる教会では、救われたばかりの男性が次の年には結婚。翌年にはお子さんを抱き、クリスチャンファミリーになるのを見られたのだそう。「文書伝道の本質である魂の救いと、信仰の成長をこの目で見ることが出来るのは、文書伝道者にとってとても感謝すべきことです」と嬉しそうに話しておられました。
そして、ライフセンターは2020年9月。那覇市久米から曙へ移転。いのちのことば社からライフセンタービブロス堂へ事業譲渡をし、新しいスタートを切りました。中村さんは店長を継続され、沖縄を拠点にした新たな働きに胸を膨らませています。
「以前よりアクセスしやすく、駐車場も広くなり、よりご来店しやすくなったと思います。書店では様々な出会いがあります。本との出会いや人との出会い、何より多くの人がイエスさまと出会う書店になるように祈っています。素敵な出会いを楽しみに、ぜひ足をお運び下さい」
ライフセンター 那覇書店からライフセンタービブロス堂へ
株式会社ライフセンタービブロス堂代表取締役社長 奈良蓮さん
以前、クリスタでも救いの証をして下さった奈良蓮さん。ホームレスを経てNPO法人プロミスキーパーズで働き、現在はFM那覇の代表を務めています。ドン底からイエスさまに救われた喜びは、その大きな笑顔に表れています。「沖縄の教会を励ましたい」その思いが、ライフセンタービブロス堂立ち上げの原動力となりました。
2020年。奈良さんの所属教会(縄ベタニヤチャーチ)では教会を引っ越すにあたって、会堂として使っていた場所を新しい宣教の働きに使えないかと祈っていました。その中で、ライフセンターへ頻繁に本を買いに行く教会メンバーがいること。ゴスペルボックスをよく招いていたことなどから、ライフセンターを誘致しては、というアイディアが出ます。すぐに、一緒に文書伝道の働きができないか中村さんに相談すると、お互い共感する部分があったといいます。
その後、いのちのことば本社へ相談。本格的に話が進んでいきました。しかし、50年の歴史あるライフセンター那覇書店。そう簡単に許可が出るはずもありません。また、事業譲渡という形での提案は難航を極めました。「本社へ行き、役員のみなさんに私たちの思いと、沖縄で更なる文書伝道の活性化に力を尽くしたいということをお伝えしました。事業譲渡は、いのちのことば社さんでも前例のないことです。度重なる話し合いの末、2020 年7月にライフセンターをお任せいただけることになりました」
9月のオープンに向けて工事を開始しましたが、工期はたったの2カ月しかありません。期間内にオープンできるだろうかと、不安要素は多分にありました。教会総出で工事にあたり、プロミスキーパーズのメンバーたちも工事を買って出ます。そして、書店に必 不可欠な本棚やレジカウンターは、別の書店やクリスチャンの業者から譲り受けたりするなど、神さまは様々な助けを送って下さいました。クリスチャンの 屋さんやアパレルブランドの方から問い合わせがあり、店頭で販売するグッズなども、2カ月の間になんとかそろえることができました。
また、コロナ禍でのオープンは、夜も眠れないほど不安だったといいます。しかし、商工会議所に相談に行くと、対応したスタッフはなんとクリスチャン。「こんなにたくさんのクリスチャンの助けを目の当たりにすると、偶然とは言い切れず、神さまの守りの中でこの書店は作られているんだと励まされました」と奈良さん。
完成した書店は以前より本やグッズの数も増えました。また、沖縄の古書を置くことでクリスチャン以外の方にも来店していただけるようにしています。カフェにはリラックスして座れるソファーを用意しました。本を買ってそのまま読んだり、交わりの場として使ってほしいとのこと。最近では、住職さんがランチを楽しんでおられたのだとか。「キリスト教の書店に住職さんが来るなんて奇跡としか考えられません」
また、ビブロス堂は店舗の広さを利用したコンサートやワークショップなどの伝道イベントも 催しています。「50年も続いたライフセンター那覇書店のバトンは、とても重たいバトンです。いのちのことば社さんと先代の店長さんたちが、地域教会と二人三脚で文書伝道の働きを拡大していったように、ビブロス堂もクリスチャンがワクワクして元気になる場所、宣教の新しい拠点となるように邁進して行きたいと思います。何より神さまの御心にかなうライフセンターを目指して行きます」
また、いのちのことば社の岩本信一社長は「沖縄でのライフセンターの宣教のビジョンを与えてくださったのは、主なる神さまです。そして、50年にわたる宣教の歩みを支えてくださったのも、主なる神さまです。このビジョンと使命を受け継いでくださった、ライフセンタービブロス堂の働きにも、主なる神さまの祝福が豊かにあると信じています」と祝福の言葉を送って下さいました。
ビブロス堂の「ビブロス」とは、古代フェニキア人の港町の名前に由来しています。そこには、当時貴重だったパピルス(紙)がエジプトから輸入され、周辺諸国へ届けられていたそう。いつしかパピルス(紙 )はビブロスと呼ばれるようになり、そのビブロスが後のバイブル(聖書)の語源となりました。まさに、ライフセンタービブロス堂は、たくさんの信仰書とクリスチャンの賜物が往来する港のようです。那覇書店の50年のバトンを受け継ぎ、沖縄における文書伝道と、超教派宣教の拠点としての新たな船出に、心からの祝福を送ります。
株式会社ライフセンタービブロス堂
http://biblos-do.jp TEL 098-868-4406
〒900-0002 沖縄県 市曙3-6-24
営業時 10:00 ~ 20:00 日曜定休