v85特集

イエスさま助けてください

江頭恭生さん

少年時代

 1994年2月。私は江頭家の次男として佐賀県に生まれました。両親とも自営業で忙しく、よく祖母に預けられ、おばあちゃん子に育ちました。活発な性格でしたが、なぜかいつも心に物足りなさを感じていたのを覚えています。
 

 小学6年の頃から、学校を抜け出して友達と遊ぶようになり、興味本位から酒やたばこに手を出し、悪い遊びをするようになりました。中学1年の後半からは、地元の先輩とつるみ始め不登校に。何に対しても意欲や目標がなく、理解できない不満と怒りに心を支配されている様でした。心の隙間を埋めるように盗みをしたり、しまいには大麻にも手を出してしまいます。常に反抗的な私に、親や先生は「万年反抗期」と言い頭を抱えていました。
 

 高校に進学する気はなかったのですが、父から高校には行ってほしいと言われ、仕方なく福岡の定時制高校へ進学しました。しかし、酒と大麻に溺れる日々。学校の課題など一度も提出したことはありません。半年ほど経つと、学校から転校を勧められました。事実上の退学通知です。
 

 その後、父の中古車販売店の手伝いをしたり、建築会社でアルバイトをしましたが、どちらも長続きせず。毎日地元の先輩たちと遊び呆けては、悪事に手を染めていきました。先輩つながりで暴力団員の家に出入りするようになり、16歳で覚醒剤を覚え、腕に注射を打たない日はありませんでした。薬を手に入れるために、実家のテレビや家具、母の指輪や祖母の肩身などを勝手に売り飛ばしました。
 

 またヤクザのまね事で違法の風俗斡旋業をして、一日十数万円を稼ぐこともありました。家には帰らなくなり、暴力団員の家に入り浸っていました。しかし、暴力団になっていく先輩や、薬漬けで廃人になる人たちの姿を間近で見て、「このままではいけない」と心のどこかで思う自分もいました。

万年反抗期と呼ばれた時代

少年院へ

 18歳。このままヤクザになるか、更生して生きるか、どちらかを選ばなければと考えていました。違法風俗斡旋業をやめ、金も尽きた頃に実家へ戻ると、ちょうど家に警察が来て別件で逮捕。取り調べの際に覚醒剤使用が発覚。少年院に収容されることになりました。「とうとう捕まった」そう思うと同時に、「人生をやり直そう」と、心の中で決心しました。
 

 熊本県の少年院は、徹底した規律のなかでの生活でした。そこで、一人の教官(先生)に出会います。先生はいつも私を気にかけ、なんでも褒めてくれました。それまで人に褒められたことはほとんどなく、こんなに嬉しいものなのかと思いました。この出会いをきっかけに、とにかく早く出所しようと、誰よりもルールを守りました。その甲斐もあり、特別外出許可が下りるほどの模範囚になりました。

収容中に出会った信仰書

 収容されてすぐの頃、アーサー・ホーランド牧師の「不良牧師」という本に出会いました。衝撃的な内容で、すぐ母に同じ本を送ってほしいとお願いしました。母はその本と一緒に、進藤龍也牧師の「立ち上がる力」という本も送ってくれました。暴力団員がキリストを信じて人生を改め、まっとうに生きるストーリーに驚きました。しかし、当時は単なるすごい話程度にしか思っていませんでした。

壊れそうな心

 10カ月半の刑期を終え、新しく人生をやり直そうと、意気揚々と地元に戻ります。しかし、少年院を出たからといって上手くいくはずはありません。再び以前のような不満や怒りがつのり、お酒に逃げるようになりました。以前の私を知る友人に誘われて飲みに行った帰り、薬物を手渡されてしまいます。それから、昔の生活に戻るのに時間はかかりませんでした。注射針を刺すたび涙が溢れ、「誰か助けて」と心の中で叫んでも誰にも聞こえるはずもなく、悲しみで心が壊れてしまいそうでした。
 

 少年院にいる間、見捨てずにいてくれた両親や、当時結婚を考えていた彼女への罪悪感で押し潰されそうでした。出所して半年足らずでまた少年院へ。
それでも父と母が「絶対見捨てんけんね」と言ってくれたことが唯一の救いでした。二度目の少年院。前回とは違い、自分の人生はもうどうにもならないと諦めていました。ただ、薬をやめたいという気持ちだけはありました。
 

 刑期を終える頃、このまま地元へ帰ればまた同じことの繰り返しになると思い、薬物をやめるための更生施設に入ることを考えていました。それを知った母は、以前送ってくれた本の著者である進藤牧師を頼り連絡を取ってくれました。先生は親身に相談を聞いてくださり、「ティーンチャレンジ」という依存症回復と社会復帰を支援するキリスト教の更生施設を紹介してくださいました。出所してすぐ、岡山県にある施設に向かいました。

クリスチャン達との出会い

 施設に入所した初日、大阪から来ている方が証しをしてくれました。「イエスさま信じたら人生変わるで!」その言葉の意味が分からず、「コイツ頭がおかしいのか」と唖然。私と同じような境遇の人たちが「イエスさま、イエスさま」と連呼している姿に「来なければよかった」と後悔しました。

 しかし、彼らは私にはない「喜び」を持っていると感じました。施設にはテレビ・漫画・雑誌など、この世と関わる物が一切なく、毎日早朝から聖書を読み、大声で賛美を歌うだけ。それなのに、みんな楽しそうで仕方ありません。施設長を務める増田牧師と面接した時には、「私は今まで、酒・たばこ・薬物・女遊びを全くしたことがない」と仰る先生を「なんてかわいそうなんだ。そんな人間が世の中にいるんだ」と哀れに思いました。

しかし先生も、私にはない「喜び」を持っていると感じました。

初めて口にした本当の気持ち

 その日の朝は、マルコによる福音書9章からのメッセージでした。悪霊につかれた子どもをイエスさまの前に連れてきた父親の話です。彼はできるものなら助けてほしいと言います。それに対しイエスさまは、「信じる者にはなんでもできる」と言われます。その時父親の言った言葉が胸に刺さりました。

するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」 マルコの福音書9章24節


 「イエスさま、不信仰な俺をどうか助けてください!」心の中で叫びました。イエスさまには私を変えることができるかもしれない、この神さまに賭けてみよう。その日からひたすら聖書を読み、薬物から解放されるように祈り始めました。
 

 懸命に祈り続け、入所から3カ月が経ちました。ある早朝、ひとりで祈っていると「純粋になりたい」と言う言葉が出てきました。自分でもなぜそう言ったのか分かりませんでしたが、「そうだ、俺は純粋になりたいんだ」と自分の本当の気持ちを知った時、涙が頬をつたいました。顔を上げ外を見ると、目に映る景色がとても奇麗で感動しました。


 それまで、何をしても何を見ても、楽しみも感動もない。そんな冷め切った心に神さまが触れてくださったと感じました。「神さまって本当にいるんだ、これがみんなの持っている喜びなんだ」と感動と感謝で満たされました。もっとイエスさまのことが知りたい。今まで空っぽだった心を満たすように、聖書を読み漁りました。日々の生活が楽しくなり、今までの人生になかった喜びを感じるようになりました。そして、イエス・キリストを救い主と受け入れ、洗礼を受けました。

沖縄へ

 入所3年目。社会復帰に向けて就職活動が始まりました。増田牧師が沖縄でティーンチャレンジをすることと、沖縄の牧師の誘いもあり、沖縄行きを決めました。


 沖縄に着いて就職活動を始め、自宅近くのリゾートホテルへ面接に行きました。私の腕には入れ墨があるため、就職が難しいのは承知の上です。しかも、中卒の履歴書は空白だらけ。これまでの経緯を素直に話し、清掃係を希望していると伝えました。面接後は、断食して祈りました。後日電話があり、社長と面談することになりました。前回のように、包み隠さず伝えると、親身に聞いて下さいました。そして「フロントの人員が不足しているので、フロント係として採用します」と仰ったのです。


 まさか私をフロントに採用してくださるなど夢にも思わず、神さまに心から感謝しました。入れ墨は見えないよう、夏でも長袖を着て働くことが許されました。また、ローマ字の打ち方すら分からなかったのですが、上司がローマ字の表を持ってきて教えてくれました。「私にこんなに良くしてくれる人が周りにいて良いのか…」と、感謝しかありませんでした。「主から与えられたこの職場で、神さまの栄光を表す器として働きたい」そう思いました。
 

 ある日、いつも体調が悪そうな女性スタッフの方が気になり尋ねて見ると、頭痛を伴う病気を患っていると言います。痛み止めは一日一錠を寝る前しか飲めず、仕事中はとても辛いとのこと。緊張しながらも「祈ってもいいですか」と尋ね、いやしのために祈りました。一週間後、食堂でその方に会うと「あなたが祈った後から痛みがなくなって、薬も必要なくなったよ」と言われました。内心とても驚きましたが「ね、イエスさまは本当にいやすでしょ」と答えました。神さまの奇跡に感謝しました。

新しい教会

 就職先と同時に、これから通う教会も探していました。いくつか勧められた教会に行った後、現在通っているアドナイ・イルエチャーチを訪ねました。何気ない話から、教会の外間牧師に新しく入れ墨を入れようと思っていると話しました。

信仰的な意味の入れ墨でしたが、「入れ墨を彫るならうちには来ないで」とあまりにもはっきりと反対されたことに、「ここだ!」と思いました。教会の皆さんも、本当の家族のように受け入れてくださり、新しい出会いに感謝しています。

新しい教会のみんなと

イエスさまとの出会いを伝えたい

 今年4月、ティーンチャレンジ理事の野田牧師の推薦で、以前入っていた熊本の少年院で証しをする機会が与えられました。前々から、いつか少年院にいる院生たちに証しができるようにと祈っていました。イエスさまはこんな自分にも、新しい人生を歩ませてくれたこと。彼らにも将来への希望を分かち合いたいと思っていたからです。


 院生たちは、以前の私のようにどこか寂しそうで、硬い表情をしていました。どう話せば良いか迷いましたが、自分の身に起こったありのままを話しました。質疑応答の時間には、彼らの質問に対して少し厳しい話もしました。同時にたくさんの失敗があっても、イエスさまを信じれば平安でいられることを伝えました。


 その後、当時お世話になった先生方に感謝を伝えることができました。先生方から「あの頃は厳しくしてごめんな」と言葉を頂きました。また、私の証しを糧に院生たちには頑張って欲しいとも言ってくださり、私も少しは成長できたように思えて感謝しました。私が更生して新しい人生を歩んでいる姿を見て頂き、日々労して下さっている先生方の励ましに少しでもなることができたら嬉しいです。

 イエスさまは、私を純粋な愛で満たしてくれました。今では、どんな小さなことにも喜びと感謝を感じます。見捨てないでいてくれた両親に感謝します。大好きな兄と弟、職場の同僚と教会のみんなに感謝します。こんなに幸せで良いのかと思うほどの恵みに感謝します。

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 Ⅱコリント5章17節
 

 イエスさまは私を暗闇の底から助け出し、新しい人生を与えてくださいました。これが私の人生を変えてくださった、イエスさまの証しです。

少年院で証しをする