Daily Testimony#14

日常に隠れたイエスさまの祝福を探し出し、ほっこりしませんか。日々の証しを、家族や友達とシェアすると、私たちの内側から主の喜びが湧き上がります。笑いに涙に、何気ない会話の中にイエスさまは祝福を隠しておられます。

自分の信仰を持つこと(Aさん40代女性)

 私は、幼い頃から母に連れらて教会に通っていました。小学校高学年ごろになると、友達と遊びに行くなど理由をつけて教会を休むこともありましたが、母はそんなを叱ったりすることもなく、日曜礼拝は欠かさず参加していました。子どもながら、母の信仰熱心さには呆れるほど関心していました。

 私も成長していく過程で、高校受験や幼いなりの試練を通される度、神さまの奇跡やみことばの力を体験して信仰が成長させられていきました。また、教会の牧師先生や兄弟姉妹の皆さんは、私や私の家族に問題が起こったときに祈ってくれたり、とても親切にして頂いたので私と家族にとって教会はとても大切な場所でもありました。

 しかし、ある時母が別の教会に行くと言い出したのです。私は耳を疑い「今までこんなにお世話になった教会を出るなんて信じられない」と母に強く当たってしまい、母との間にわだかまりが生まれてしまいました。

 元々、母は人助けやボランティア活動によく参加していて、その頃から別の教会の慈善事業にも参加するようになっていました。母の中で使命感を感じ、祈って決めたと言うのですが私からすれば裏切りに近いものを感じていました。母は牧師先生と相談して、先生も教会の皆さんも快く母を送り出してくれましたが、その頃の私にはまったく理解ができませんでした。

 その後、母と別々の教会に通うのは、なんだか居心地の悪い感じがしてなりません。しかし、ある日のメッセージで「自分の信仰に立ちなさい」と語られ、はっとさせらました。もしかして、私は母の信仰に頼っているだけなのでは。その時、「今まで私のために祈って、励ましてくれる母はもう居ない、これからは私自身が神さまを信じなければいけないんだ」と強く思いました。

 また、聖書にある体の例えの箇所が思い起こされ、母は母の使命を忠実に歩んでいることを理解することができました。悔い改めと同時に、昔から変わらず自分の信仰を生きている母の偉大さに自分の未熟さを感じ、母のようになりたいと思いました。

 それからは、母とのわだかまりも無くなり、反対にお互いに祈り合う関係になりました。今私には三人の子どもがいます。この子たちがどんな信仰生活を歩むのは分かりません。ただ、母が私にその背中を見せてくれたように、私も神さまに喜んで仕える信仰の姿を子どもたちに残せていけるようにと、心から祈っています。

 母は、相変わらず神さまと人に仕える充実した日々を送っています。そんな偉大な母と、私を救い私に信仰を与えてくださったイエスさまに心から感謝します。

「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」ルカの福音書3章22節

God bless you

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