Daily Testimony#21

日常に隠れたイエスさまの祝福を探し出し、ほっこりしませんか。日々の証しを、家族や友達とシェアすると、私たちの内側から主の喜びが湧き上がります。笑いに涙に、何気ない会話の中にイエスさまは祝福を隠しておられます。

落ち込んだ日(Hさん20代女性)

ここ数週間、なぜだか心が空っぽだ。聖書を読んで祈っても、礼拝に参加しても、木につながっていない枝のように自分が神さまから遠く離れた存在になったような気がしていた。それでも頑張らなければ、「教会ではユースリーダーで仕事では先生と呼ばれるような立場なんだから」と自分を鼓舞して前に進もうとする。でも、それはガソリンの入っていない車のアクセルを全力で踏み込むような感じ。そんな自分を哀れに思い、虚しさが心の中に蔓延する負のループに陥っていった。

そんな時にミスは起こる。仕事でやらかした。完全に自分のせい。「あの時こうしておけば」「なんでいつもこうなの」と徹底的に自分を責める。仕事のことを祈ってもいなかった自分を責めると同時に、神さまに申し訳なく思った。

「神さまごめんなさい」

やっと自分の弱さを認めて神さまに祈った時、不思議なことが起こった。社長から入った一本の電話「全部解決したから、もう心配しなくてもいいよ」自分が犯した失敗が綺麗さっぱり帳消しになってしまったのだ。唖然とするしかなかった。あんなに自分の力で解決しようとしても全くうまくいかなかったのに。これは恵みとしか言いようがなかった。

その時、神さまを信じてはいても頼っていないことに気がついた。信仰を持っているなら、いつも愛のある良い人でなければいけない。と間違ったクリスチャン像を追いかけていた。しかし、イエスさまは私の精神状態などお構いなしに私を愛し、守って導いてくださる。今まで、ガソリンが入っていないと思っていた人生の車は、実はガソリンで走る車ではなく、私が運転席に座っていると思っていたのも大間違い。燃料は神さまご自身、運転手はイエスさまだった。

 

すべてのことを働かせて私を導くこの神さまが一緒なら、落ち込む日があっても、弱さがあってもいい。その中に、イエスさまが働いてくださるならそれでいい。むしろその方がいい。「これからは、落ち込む自分も認めてイエスさまのそばに居よう」そう思ったら心に平安がやってきて感謝が溢れてきた。イエスさまがいつもそばにいる。それが何より感謝なことだと落ち込んで初めて気がついた。

イエスさまが一緒なら、落ち込むのもそう悪くない。

たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおれらます。詩篇139章8節

God bless you

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