v91特集

みことばは人生を変える

長岡ツヤさん(88歳)

長岡ツヤさん
夫との出会い

私は喜界島で10人きょうだいの末っ子として生まれました。とても小さい島で、終戦後の生活はさらに貧しくなり、毎日の食料を探すだけ
で精一杯。小学校は2年生までしか通っていません。

 
16歳で兄3人と一緒に沖縄本島に出稼ぎにやって来て、色々なところで働きました。19歳の時、同郷の方が経営しているレストランで働いていました。お客さんだった3歳年上のアメリカの軍人さんにアプローチされ、交際を始めました。すぐに結婚の話になり、私はアメリカには絶対行きたくないから無理だと告げると、軍人を退役して軍属として働けばアメリカに戻る必要はないと言い、彼は転職したのです。その覚悟に私は結婚を決めましたが、当時の国際結婚は手続きに時間がかかり、3年後にようやく結婚が認められました。それから25歳で長男、27歳で長女を出産しました。

結婚記念写真

夫はとても優しい性格でしたが、お酒が大好きで、生活費をあまり入れませんでした。2人の子どもを育てながらのお金の工面は想像を絶するものがありました。また、その他にも色々な苦しみが重なり、自殺を考えたことが二度、三度ありました。

そのような時、ふと幸せそうな顔をして寝ている子どもたちの顔を見ると、この子たちを残して死んではいけないと思いました。

苦しみもがいてた1965年、何気なく行った近所の美容院でのことです。オーナーの女性はとても話しやすい人柄で、いつの間にか、誰にも相談したことのない悩みを打ち明けていました。

すると彼女は、「教会へ行きなさい」と言うのです。「私のような者でも行けますか」と聞くと、「何を言っているの。神さまは両手を広げてあなたが来るのを待っているから行きなさい」と言ってくれたのです。そして、彼女の通っている教会に連れて行ってくれました。

初めて聞いたメッセージはイエス・キリストの十字架の愛についてでした。その話は私の心に触れ、涙をこらえきれず、ブルブルと肩を震わせながら泣きました。

翌日、教会の方が自宅に来て、聖書をプレゼントしてくださいました。自分で聖書を読み始め、一週間ほどたった日、「今晩、婦人祈祷会があるから一緒に行きませんか」と教会の方が誘ってくれました。声をかけてくれたことが嬉しく、祈祷会へ行く前に聖書を開くと、次のみことばが書かれていました。

わたしは道であり、真理であり、命である。ヨハネ14章6節

先日礼拝で聞いたイエス・キリストの十字架の愛が思い出され、感動し涙が出てきました。

わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。ヨハネ14章18節

そこまで読んだときには、涙があふれ、「イエスさま、私の罪をお赦しください」と何度も祈っていました。祈り疲れてそのまま眠ってしまい目を覚ますと、自分でもそのような祈りをしたことに驚きました。悔い改めという言葉もまだ知らなかったからです。夕食の準備をしようと立ち上がると、足が驚くほど軽く、心はとても晴れやかなことに気がつきました。

祈祷会へのお迎えの方が来た時、「あなた何かいいことあった?」と聞かれました。私の身に起きた出来事を説明すると、「それは救いというのよ!よかった、よかった」と言って喜んでくださいました。その晩の祈祷会はとても良い交わりができました。

バプテスマ式

自分の不義につまずく

教会にはしばらく熱心に通っていましたが、試練が次から次へと襲ってきました。夫は相変わらず毎日お酒を飲み、私の手元にはわずかな生活費だけ。経済的な苦しさはもちろん、他にも何から話せば良いか分からないほど、次から次へとやってくる苦難。苦しさのあまり、教会へ行くこともままならない状態でした。
 
苦しい生活は20年ほど続きました。そのような中でも、時折聖書を開いていました。1985年のある夏の日のこと。その日も何気なく聖書を読んでいると。

イスラエルよ、 あなたの神、主に帰れ。あなたは自分の不義によって、つまずいたからだ。ホセア14章1節

この聖句にハッとしました。「私は、周りの状況や環境のせいにして教会から離れていた。でもそれは、誰のせいでもなく、私自身の罪が原因だった」目から鱗が落ちるようでした。悔い改めの祈りをしながら、聖書を読み続けていくと。

それゆえ主はこう仰せられる、 「もしあなたが帰ってくるならば、 もとのようにして、わたしの前に立たせよう。」エレミヤ書15章19節

なんと深い主の愛でしょうか。感謝で涙が溢れ、心に喜びが湧いてきました。「今まで何十年も迷って、わがままばかりしていた私の罪を赦してください」そう祈り、もう一度教会へ行く決心をしました。

大胆な信仰へ

それからの信仰生活は、以前とはまるで変わりました。イエスさまの愛を思うと、両手を上げて賛美を捧げずにはいられないのです。教会の伝道にも積極的に参加し、県内様々なところに出かけイエスさまを伝えました。個人的に神さまと出会ったことで大胆な信仰に変えられたのです。

私の変化を見た友人が教会に行ってみたいと言い、彼女とその弟を教会に連れて行きました。イエスさまは彼らにも触れてくださり、なんとその日に救いを受け入れたのです。それからも多くの奇跡や救いを見、生きて働かれる主の素晴らしさを体験しました。

病のときに強められる

また、病の中で信仰はさらに強められていきました。50代の頃、胆嚢の摘出手術をしました。手術前、あまりの激痛に「痛いよう」と大声で泣き叫んでいると、突然イエスさまの十字架のお姿が目の前に現れました。イエスさまは私が犯した罪のために十字架におかかりになられたのだ、

イエスさまの十字架に比べれば私の痛さは爪の垢ほど。「痛いよう」の声は徐々に小さくなり、痛みを堪えることができました。心の中では、私の罪をどうかお赦しくださいと祈っていました。病の中でも強め励ましてくださるイエスさまの愛に心から感謝します。

それからも、甲状腺、狭心症、静脈瘤など多くの手術を受けました。その度に主が共にいて私を守ってくださり、手術のたびに祈る力を与えてくださいました。

病気で苦しんでいる方がいらっしゃいましたら、あなたはひとりではなく、主が共に苦しんでおられることをどうぞ思い出してください。

あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アーメン。Ⅰペテロ5章10、11節

夫と過ごした晩年の8年

夫は、私と子どもたちが教会に行くことに反対しませんでしたが、彼自身は教会へは通いませんでした。私は、彼の救いのために何十年も必死に祈り続けていました。

夫は72歳の時、頚椎の手術のために入院。手術の不安から、彼はとても落ち込んでいました。ある日、私が病室から席を外し、食事をとって戻って来ると、さっきまでの不安げな表情が嘘のように輝いています。夫は嬉そうに「You know why?」と言って話はじめました。私がいない間に牧師先生が面会にきて下さり、なんと救いを受け入れたと言うのです。

何十年も祈ってきた願いが突然叶った驚きと、踊りたいほどの嬉しさを今でも覚えています。手術は無事に成功。夫が退院してから亡くなるまでの8年間は、共に礼拝に行き、とても幸せな時間を過ごすことができました。

また、彼が亡くなった後に知ることになりましたが、将来私がお金に困らないようにと、色々と準備してくれていました。今まで経済面で苦労させたことを思ったのでしょうか。これまで苦しみの多かった人生、それでも主と共に乗り越えてきました。人生の後半で、夫が救われ、経済の心配もせずにゆっくりと主と過ごす日々が送れることに、感謝しかありません。

イエスさまは目に見えなくとも

2人の子どもたちもそれぞれの人生で神さまと出会い、教会に通っていることは感謝です。孫とひ孫は合わせて6人。家族皆がイエスさまと共に過ごす人生を歩むようにと祈っています。


イエスさまは直接目で見ることはできません。しかし私は、みことばそのものがイエス・キリストだと信じています。私の救いもみことばによって与えられたからです。私の夢はただひとつ。最後まで信仰を持ち続けて生きることです。これまでそうだったように、何があってもイエスさまにすがりつく!私にはイエス・キリスト以外にありません。いつかイエスさまに会える日まで頑張って生きていきます。

すべての栄光は主のもの、主のみ名にお返しします。

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