v92特集

それでも私は愛されている

古川はなさん(27歳)

私は愛されていない

クリスチャンホーム生まれの教会育ち。イエスさま大好き少女だった私の人生に試練がやって来たのは、ダンスを習い始めた思春期真っ只中。家族の問題が度重なって起こり、家の中はいつも暗い雰囲気。

私はそこから目をそらすために、毎晩ダンス教室へ逃げるように通っていた。イエスさまの助けを一番必要と感じていた矢先、追い打ちをかけるように家族で教会を出ることになってしまう。

「自分はイエスさまに愛されている」と心底思っていた私にとって、これらの出来事はイエスさまにとうとう見捨てられてしまったと感じ「私はイエスさまに愛されていない」という思いが、強烈に襲いかかった。

同時に「私が罪深いから、世界で一番醜いから、イエスさまは私を見捨てたんだ」と自分を責め立てるようになり、その思いはイエスさまへの反発に変わっていった。そして、私の心は底が見えない穴のように暗くなっていった。

朝、鏡を見るたび「お前はなんてブスなんだ。よくそんな顔で外に出られるな」と自分を蔑んだ。以前は絵に描いたように明るい子だったのに、学校では自分の居場所を得るため常に人目を伺い、他人の評価で自分の価値を見い出すようになった。

両親は別の教会に通い始めていたが、もはや教会など眼中にはない。教会は偽善者の集まりだと思っていた。なぜなら、家族の問題は解決しておらず、私の心もひどく傷ついたままだったからだ。

「イエスさまが本当に愛の神さまなら、今すぐ奇跡を起こして、すべてを元通りにしてみろよ」

胸ぐらを掴むような言葉でイエスさまに毒を吐きまくった。しかし、心のどこかでイエスさまのことを信じたいという思いがあったのも確かだった。ただ、自分ではどうすることもできなかったのだ。

ダンスを習い始めた頃

 

ダンスレッスンを受けに教会へ

 

その頃の私の生きる意味はダンスだけだった。踊っている時は、すべてを忘れて自由になれる気がした。「ダンスで成功してやる。それができなきゃ生きてる意味がない」ダンスだけは誰にも負けない自信があった。しかし、皮肉なことにそのダンスさえ、イエスさまによって与えられたものだと、後々痛いほど思い知るようになる。

中学2年の頃、父が「知り合いの教会で、有名なダンサーが無料でダンスレッスンをやっているらしいから行ってみないか?」と言ってきた。

教会から離れた娘のことを思ったのだろうか、父の誘いに初めは嫌な顔をしたが、のぞいてみるだけならと、その教会へ向かった。教会につくと、なんとそこには私の憧れのダンサーがいるではないか。

「えっ、なんでこんな所にいるの」疑問と驚きとなんとも言えない複雑な感情が入り混じる。「彼のレッスンなら絶対に受けたい、でもここは教会だぞ、どうする」憧れのダンサーのレッスンをしかも無料で受けられる。

しかし、牧師から参加のためのたった一つ、魔の条件が宣告された。「参加したい人は、毎週礼拝に来てくださいね」頭の中で「は?」という言葉が鳴り響く。当然ながら嫌で嫌で仕方がない。しかし、喉から手が出るほど参加したい気持ちが勝り、葛藤の末渋々その条件を飲んだ。思い返すと、あれほど教会を毛嫌いしていた私がそう決断できたのは、イエスさまの導きだったとはっきり言える。

悲劇のヒロイン

次の週の日曜、ダンスのためだと言い聞かせ、行きたくもない教会に足を運んだ。とは言ってもわざと礼拝が終わる時間帯を狙い、その後に振る舞われる食事だけ頂いて帰る、というなんとも不届きな事を毎週していた。

そんな私を教会の人たちは気にかけ、話しかけてくれた。初めは胡散臭く感じていたが、ダンスレッスンを受ける義理として教会の人たちと関わることにした。

また、同年代のメンバーが集まり、日常の出来事をシェアする時間があった。その中で聖書の話や、日々の感謝をみんなが次々と口にする。私の番が回ってくると「どうせ私はイエスさまに愛されてないんで」と、こらえきれず涙交じりに、ぶっきらぼうな言葉を吐く。

そんな私にみんなは「そんなことないよ。花はイエスさまに愛されているんだよ」と励ます。当の私は「嘘つけ、こんな私が愛されるはずがない」と心の中で否定した。

徐々に礼拝にも参加するようになったが、礼拝後の時間は相変わらず人前で自分を蔑んでは泣いていた。その度に、教会のみんなは「そんな事ないよ、イエスさまは花を愛しているよ」と励ましてくれる。

その頃の私はまさに悲劇のヒロインのようで、目に余るほど酷かった態度が、今では教会の笑いのネタになっている。当時は、誰かに自分の思いを否定してもらうことで、愛されているという実感が欲しかったのだ。

しかし、そんな私を教会の誰一人として拒絶せず、忍耐を持って受け入れてくれた。メッセージでは、私の思いに対するアンサーが毎回語られる。特に、牧師先生が私や同世代のメンバーを、まるで娘のように可愛がってくれたことがとても嬉しかった。

みんなとの他愛もない会話の中で、少しずつだがガチガチに固まった私の心は柔らかくほどけていった。奇跡や衝撃的な体験はないが、こんな私を忍耐してくれたことこそ、イエスさまの愛に他ならない。高校生になる頃には、以前より自分を肯定的にとらえられるようになっていた。

教会のメンバーと(後列左)
悪夢と示された道

 

高校を卒業する頃には、イエスさまの愛を徐々に知るようになってはいたが、私の心のより所はまだダンスだった。「ダンスで成功しなきゃ意味がない」と思いつつも、以前のように純粋にダンスを楽しめず、スランプにも陥っていた。それでも「とにかく頑張らなきゃ」と、アメリカ・カリフォルニアへダンスの短期留学へ行くことにした。

そんなカリフォルニア行きの数ヵ月前、悪夢にうなされる。

夢の中で私はあるヴァンパイア(吸血鬼)映画の中にいた。ヴァンパイアたちの家にいて、彼らと友達のように仲良く過ごしている。

その中の一人が話しかけてきた。「花、僕らの仲間にならないか?」ヴァンパイアになれば不老不死になれる。さらにその場の居心地の良さから「うん」と答えた。

その途端、彼らの態度が暗く恐怖を帯びたように変わった。「じゃあ、僕らと契約を結ぼう。その代わり家族や友達には一生会うことはできない」その言葉に怖くて動けなくなった。

その時家のチャイムが鳴り、やって来たのは母と姉。二人は私を探しに来たのだ。「娘が行方不明なんです。見かけませんでしたか」私は恐怖のあまり声が出ない。ヴァンパイアは「知りませんね」と平然と嘘をつく。「そうですか、ありがとうございます」そう言って帰っていく二人の後ろ姿を、扉の隙間から見つめてただ泣くことしかできず、扉は虚しく閉じられた。

あまりの恐怖に飛び起き、助けを求めるように聖書に飛びついてページをめくる。「イエスさま助けて」その一心で読み進めると、一つの聖句が示された。

 

わが子よ。彼らといっしょに道を歩いてはならない。あなたの足を彼の通り道に踏み入れてはならない。箴言1章15節

 

「何かわからないけど、神さまは何かを伝えようとしている」と感じた。

母に夢の話をすると、驚いた様子で話し出した。母のクリスチャンの友人がある夢を3日連続見たと言う。夢の内容は、私たち家族が同じバスに乗っているが、私一人だけ途中のバス停で降りてどこかへ行ってしまうというもの。初めは不思議に思っていた友人も、3日も続けて見るから何かあるのかもしれない、と母に教えてくれたそうだ。

ちょうどその頃、ホームステイ先を選んでいる時だった。一つはダンスレッスン場のすぐそばにある寮。もう一つは、レッスン場からかなり離れた牧師の家。

私は寮に滞在するつもりだった。ダンス漬けの日々を送れば夢に近づけると思っていたし、誰が見てもそのほうが妥当な策であることは確かだ。それに、「自分の賜物をイエスさまのために捧げる」と言う話を聞いたこともあるが、私にとってそれは、夢を断念した人の言葉にしか聞こえなかった。

しかし、あの悪夢と聖書の語りかけもあり、今回ばかりは自分の意思とは反対に進もうと、牧師の家でステイすることに決めた。

 

カリフォルニアで掴んだもの

 

19歳、念願のダンス留学。強い決心でカリフォルニアの地に足を踏み入れた。

ステイ先の牧師家族は手厚い歓迎をしてくれた。そして、牧師からこの家にはひとつだけルールがあると告げられた。それは、毎日聖書を読んでデボーションをすること。その頃の私は聖書を読む習慣がなく、とにかく嫌で仕方なかった。

しかし、ステイさせて頂いくからにはと、嫌々ながらも毎日デボーションをした。このデボーションが私の人生を変えることになるとは、その時は微塵も思わなかった。

レッスン場では、憧れのダンサーのレッスンを受けられるまさに最高の環境。それなのに、ダンスを楽しむ事も頑張る事もできず、自分に嫌気がさした。こんな中途半端な姿勢では、通用するはずがない世界なのは百も承知。

どうする事もできず、初めて、踊る前に心から祈り、イエスさまにより頼むということをした。しかし「このままプロを目指すべきなのか、でもここで諦めたら負け犬だ」と心の中では葛藤が渦巻いていた。

そんな私にとって、ステイ先の牧師家族とその教会が心のより所となっていた。教会には同世代のメンバーもたくさんいて、日曜礼拝終わりには、みんなで遊びに出かけたりした。

牧師には私と同い年の娘もいて、彼女とはよくおしゃべりしたり、日曜以外の集会に一緒に連れて行ってもらった。いつしか私の心も体も、レッスン場より教会で多くの時間を過ごすようになっていた。そして、ある日のデボーションを通してイエスさまは語ってくださった。

 

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。Iコリント6章20節

 

心の中に喜びが溢れるようだった。「これだ!私の人生の一番の喜びは、神さまに自分を捧げることなんだ」

長い間、重くのしかかっていた夢への戒めから解放されたようだった。今まで逃げだと思っていた、「ダンスをイエスさまに捧げる」ということ。その思いはみことばによって変わったのだ。

それからの留学生活は楽しくて仕方なかった。教会で捧げる賛美やメッセージに信仰は強められ、心も燃やされていった。しかも、留学中に後に婚約者となる男性とも出会う恵みに預かった。

後から知ったことだが、レッスン場近くの寮にステイしていた人の話によると、寮では飲酒やマリファナが毎日のように横行していたそうだ。これを聞いて、あの悪夢の意味や語られたみことばなど、すべてイエスさまの御手で守られていたと知った。

イエスさまを恐れると同時に、すべてのことを動かして私を導いてくれた深い愛に「私はこんなにも愛されているんだ。イエスさまありがとう」と感動して心が熱くなった。今思えば、3ヵ月という短い期間に、このすべてが起こったことは奇跡としか言いようがない。本当にイエスさまは真の神だ。

ステージでダンスを披露

 

開かれていく道

沖縄に帰ってから、ダンスを仕事にしようと動いてはいなかった。

しかし、教会でダンス教室を始めると、別の教会でもレッスンを頼まれるようになった。その後、知人の紹介でダンススタジオでインストラクターになる道が開かれていった。

また、仕事の繋がりで知り合ったダンサーと、ひょんなことからダンスコンテストに出ることになった。

初めて組む人と、練習も数えるほどしかできなかったが、タイミングを見つけては「私はクリスチャンだから、踊る前に祈ってもいい?」と言って彼女と一緒に祈ったりもした。コンテストは準優勝で終えることができ、「花ちゃんの神さますごいね!」と彼女は驚いていた。「そうなんですよ」とは言いながら、正直私の方がビックリしていた。

「ダンスをイエスさまに捧げる」そう決めてから、不思議と道が開かれていった。最近では、芸能の専門学校で教えたり、アイドルグループの専属振付師の仕事を頂いたり、イエスさまは大きな恵みを与えてくださっている。

私の一番の願い

 私がイエスさまの愛を体験したことで、家族関係も回復していき、今は感謝でいっぱいだ。

しかし、こんな私のために、すべてを動かして暗闇から救い出してくださったイエスさまの恵みが、私の家族だけで終わっていいはずがない。私や私の家族が救われたのだから、私たちのように苦しんでいる人たちも救われなければ困る。

だから私は、多くの人にイエスさまの愛を伝えて生きていきたい。その愛で人を励ます者でありたいと願っている。

「たとえ、どんなに苦しくて辛い状況にいても、それでもイエスさまはあなたを愛しています。私がそうだったように、あなたにもイエスさまの愛を知る日が必ず来ると、私は信じています」

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