Christmas Message
クリスマスの意味
クリスチャンズ ・イン・アクション宣教団
モリヤチャペル 牧師 依田 献
一般的にクリスマスは、教会に行った事がない人でも、大切な人への贈り物、美しいイルミネーションの光、家族の団らん、白い雪、クリスマスソング、そわそわしている恋人たちなどを簡単にイメージできるのではないでしょうか?
そうなのです。クリスマスは、人の心に感動が起こり、人と人の距離が一年で一番近づくシーズンなのです。実はそれには理由があります。クリスマスとは、まさに人類がこれまで体験した事がない最高のプレゼントをもらった日だからです。
自分という存在の価値
人間が生きていく上で一番大切なものは、お金、仕事、また持ち物でしょうか?
もしそうであるなら、それらのいずれかを失った時に人生も一緒に終わってしまいます。それでは生きている意味が薄れると思いませんか?
人間が無意識の中で一番知りたいのは、また一番欲しいと願っているのは、自分の存在が無条件で受け入れられる事だと思います。
ですからあなたも自分が持っている能力、財産、美貌、地位、そして人間関係を失ったとしても、決して態度を変えずに自分の事を好きでいてくれる存在を求めているのではないでしょうか?
その反対に、自分は何も持っていないと考えておられる方もいると思います。仕事をしている自分、鏡に映っている自分、料理をしている自分、子育てをしている自分、夫としての自分、男性である自分、また女性である自分など、
日常生活の中でいつも脳裏にある自分に対する評価の低さが存在していないでしょうか?
しかし心の奥でずっと探してきたものは、自分を評価する必要がなくなる心の状態であり、自分を評価しようとする基準さえも存在しない世界であり、自分の事をいつでも両手を広げて迎えてくれる存在です。
あなたは永遠に私のもの
人類は、そのような贈り物が届けられるのをずっと長い間待っていたのです。
それが約2000 年前にイスラエルで起きた出来事なのです。映画「パッション」でも知られているイエス・キリストの十字架は、人間がどんなにお金を使っても、どんなに努力しても、手に入れる事が出来ない
「自分の存在が無条件に受け入れられる」を可能にしたのです。
誰に受け入れられるのでしょうか?
それは愛情いっぱいでこの世界を造られた神さまです。
罪の赦し
人間の心には、罪というものが存在します。
この罪が悪さをし、自分や自分のいる世界に対する評価の基準を作ってしまいます。
心という場所は、とてもユニークに造られていてどんな根性論も通用しません。罪は、この心の中に存在しています。筋肉は鍛えれば強く大きくなりますし、片付けが苦手な人は、少しずつ習慣を変えていけば改善できます。
しかし、どんな難行も苦行もこの罪には歯が立ちません。なぜなら罪は、ただ赦される必要があるからです。しかも罪がない人が身代わりとなることです。
それがイエス・キリストの十字架です。この十字架こそ、人が無条件に神さまに受け入れられる最大の理由なのです。
受け取る大切さ
贈り物は、贈る側がどんなに心を込めて贈っても、受け取ってもらえないならその役目を果たせません。神さまからの贈り物を受け取るとは、「信じる」ということです。イエス・キリストが自分への贈り物として十字架で死んでくださったことを信じるのです。
それを信じて初めてクリスマスの本当の意味が体験できます。ですから、皆さんお一人お一人に贈られているこのプレゼントをぜひこのクリスマスのシーズンに受け取ってほしいと願っています。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 ヨハネの福音書 3 章16節