v74 特集

無神論者の私がイエス・キリストに出会うまで

加納斉親さん

加納斉親さん

加納斉親さんは、フリーランスのグラフィックデザイナーの傍、専門学校の外部講師も務めています。今まで培ってきた知識とともに、救いの喜びを生徒や同僚の先生方に伝えたいと大胆に自身の信仰を示しておられます。その快活な性格は、言葉を使わずとも福音の種を蒔いています。彼が救いに至るまでの道のりは、想像もつかない出来事の連続でした。これから紹介する証しは、無神論者だった加納さんがキリストの証人となるまでの奇跡のストーリーです。

神はいない

私は大阪府西成区出身、実家は浄土真宗の仏教徒です。と言っても習慣として盆をする程度で、正月は神社に初詣に行くという典型的な日本家庭で育ちました。中学や高校の日本史等の授業で、お寺は仏教、神社は神道で、二つは異なる宗教であると知りました。幼い頃からお寺と神社に行く事に少々違和感を覚えていたので、それを機に神について否定的な思いを持つようになりました。

大学は、絵画や音楽に感心があったので、大阪芸術大学に進学。宗教画などから西洋哲学を学ぶようになると、世界には様々な思想があると知り、神とは人が勝手に作り出した妄想に過ぎないと考えるようになりました。そして、ニューエイジサイエンス系の科学雑誌や本を読みあさり、世界で起こる事は全て科学的に証明され、神は存在しないという結論に達したのです。

何か一つの事を信じるのは不自由であり、宗教や信仰に囚われない事こそ本当の自由であると確信していました。

妻との出会い

大学の同級生に、後に妻となる女性がいました。彼女は、沖縄出身で高校生の頃に教会で洗礼を受けたそうです。しかし、芸大に進学するにあたり、「世界の宗教画を学んでいく時、一神教であるキリスト教を信仰していては学業の差し支えになる」との思いから、教会に通う事を止めたそうです。

大学卒業後、私は中学校の美術教師となりました。そんな時に、彼女から「個展を開催するので来てくれないか」と誘いを受けました。仕事の都合で行けなかったのですが、代わりに自分の製作活動も知ってもらおうと、オリジナルの楽曲と効果音のデモテープを渡しました。後に彼女から、「あのテープ良かったよ」と好評を受け、それをきっかけに2人で会うようになりました。

回を重ねるうち、音楽の趣味や価値観がとても近い事がわかり、結婚するまでにそれほど時間を要しませんでした。中学の美術教師を2年ほどで退職し、一般企業にデザイナーとして就職。仕事も順調で収入も安定。長男も生まれ、そろそろ家を購入しようと妻と物件を探し始めました。私の実家の近くで探していたのですが、私の両親は選ぶ物件全てに難癖をつけて反対。なかなか住む場所が決まらず、その間に長女と次男も生まれました。

子ども達との記念写真

沖縄へ移住

そうしているうちに、沖縄で一人暮らしをしている義母が体調を崩して2度倒れました。妻は3人の子育てに加え、母親の体調が気がかりで精神的に不安定に。私は仕事も順調で、将来沖縄で生活するなど微塵も考えていませんでしたが、やはり仕事を辞めて家族で沖縄へ行こうと決断。大阪での自宅購入を止め、一足早く妻と3人の子供達は沖縄の実家へ移り、半年後私も沖縄に行きました。

沖縄では、義母と同居した事で、母親の体調を心配していた妻は安心できたようでした。しかし、私は就職先がなかなか見つからず、しばらくは退職金と失業保険でやりくりしていました。デザイナーの仕事を色々と探してみますが、当時の沖縄のデザイナーの給料で家族を養う事は困難でした。

ある時、妻の「じゃあ、独立したら」の一言で、フリーランスとして開業する事に。前職時代に依頼を受けて製作した、教育関連プログラムのリメイク版が雑誌に掲載された事を機に、いくつかの仕事を請け負うようになりました。子供達も成長し、仕事も家庭も順調に見えました。

不可解な現象が起こり始める

私は、はっきり物を言う性格で、家系的に気性の荒い方です。反対に妻や義母は、優しくおっとりとしているので意見が合わない事も多々ありました。特に子供のしつけについては、義母からよく思われていなかったようです。しかし、私は特に気に留める事もありませんでした。

仕事もうまく行き忙しくなってきた頃、家で不可解な出来事が起こり始めました。子供の腕につけていた数珠が急に割れ、子供達が続け様に怪我をしたり。私は、墓の中にいる夢をよく見るようになりました。

ある日、いつもの様に遅くまで仕事をし、喉が渇いたので飲み物を取りに台所へ。ちょうど義母と鉢合わせになり、すれ違い様、義母の背後に真っ黒い影のような物が見えたのです。何だろうと不思議に思いましたが、光の屈折か、仕事のし過ぎだと思い気に留めませんでした。その影を見た後から、家の中で動物の死臭がするようになりました。

この臭いは私しか感じておらず、家族に話しても誰も信じてくれませんでした。

私は全ての事の原因は、科学的に証明できると信じていたので、霊的な現象だとは全く思いませんでした。そのうち、妻も黒い影を見たり動物の死臭を感じるように。気味が悪くなった義母は、沖縄の風習から、知人の勧めのユタにお祓いをしてもらいました。

しかし、状況は悪化する一方。ある時、義母と妻を除く家族全員がおたふく風邪にかかりました。私は子供の頃、おたふく風邪を患っていたので、もうかかるはずはありません。不可解な現象と病で、家庭内の雰囲気も悪くなってしまいました。

おたふく風邪が原因で娘は片耳が難聴になってしまい、私は胸が締め付けられる思いでした。ちょうどその頃、妻の高校時代の友人が家を訪ねてきました。妻は一連の出来事を友人に相談しました。その方はクリスチャンで、娘の難聴のことを祈っても良いかと尋ねました。妻はそれを受け入れると、友人は娘の両耳に手を当てて祈り始めました。

側で見ていた私は、心の中で「なんて迷惑なことしてくれるんだ」と内心穏やかではありませんでした。祈りの後、娘の耳がいやされることもなく、やはり神なんていないのだと思いました。

後日、その方の紹介で教会の牧師さんが私達の家を祈ってくださる事になりました。私は乗り気ではありませんでしたが、家族の手前賛成するしかありません。牧師さんは祈り終えると、「この家は聖められました」と仰いました。確かめようと、家を調べて回りましたが、臭いが収まったようには感じませんでした。

また、長男がクラスで酷いイジメに遭い、夫婦で学校へ話し合いに行く事になりました。私は前日から、腹わたが煮えくり返りそうなほど怒り心頭しておりました。先生方と相手の生徒を目の前にし、彼らの態度を見てなお一層怒りがこみ上げ、これでもかと言うほど怒りの言葉を投げつけました。帰り道、妻に「あなたの背中に、あの黒い影が見えたよ」と言われ。悪いものに心を侵されてしまった、と動揺を隠せませんでした。当時を振り返ると、精神的にかなり追い込まれていたと思います。

神の存在を知った時

この黒い影が悪霊だとわかったのは、クリスチャンになってからの事です。不可解な現象が起こっても、神や悪霊など存在するはずがない。私は、かたくなにそう思っていました。しかし、どれも科学的に説明できるはずもありません。また、ユタに言われた通り、酒に塩を混ぜた物を家に撒いても何の効果もありませんでした。

ある日、妻の友人が娘を祈るために、今度は教会の方々と訪ねて来ました。彼らは娘のために祈り始め、私は期待もせず、ただ見ているだけでした。しかし、彼らは一心不乱に娘のいやしのために祈り続けるのです。

その様子を見ていると、突然、頭のてっぺんから電流が走ったような衝撃を受けました。そして、理由もなく涙が滝の様に流れ出し、同時に神様の存在をはっきりと知ったのです。神様が全てのものを創造され、全てを支配しておられる事。その神様はイエス・キリストである事。今まで私が間違っており、私こそ罪人であると言う事。それらが何の説明もなく、熱心に祈る彼らの姿を見て、はっきりと分かったのです。

教会の方々の祈りによって娘の耳の症状は幾分か改善しましたが、完治には至りませんでした。しかし、家族全員でこの神様を信じようと決心しました。教会の方と一緒に、信仰告白の祈りをし、イエス・キリストを救い主として受け入れ、それから毎週教会へ通い始めました。妻の友人は、何かあったらイエス様の名前で祈る事を教えてくれました。それからは、夫婦で祈るようになりました

回復の始まり

ある日の夜、妻と出掛けるため家を出ようとすると、目線の先が妙に気になりました。妻に「なんかあの辺がものすごく気になるんだけど」と言い、取りあえず神様に祈ってみました。その場所に近づいていくと、目線の高さの棚の上にお札が貼られていました。それから祈るたび、お札やお守りが普段目に付かない所から見つかり始めたのです。

見つけたものは、すべて焼き捨てました。これらは以前、義母がユタから買ったものだと分かりました。義母は昔、人間関係で酷い傷を受け、その悩みを解決するために、ユタに勧められるまま買っていたそうです。その心の痛みが悪霊の餌となって、私たち家族を蝕んでいたのだと分かりました。

また、いつもは穏やかな義母が、急に人が変わったようにかんしゃくを起こしたり、自虐的になったり、私との関係も悪くなっていました。義母もイエス様を信じて教会へ行くようになると、3年ほどかかりましたが心の傷もいやされました。気がつくと、それまでのような不可解な現象はなくなっていました。

私は、毎週教会に通うなかで、神様の存在を身近に感じるようになっていきました。なかでも賛美礼拝の時間は、今までの人生で感じた事のない喜びで満たされました。救われる前は、教会音楽に興味はありませんでした。しかし、教会の兄弟姉妹と一緒に歌う賛美は、これまで聞いたり歌ってきた音楽とは比べられないほど、心の底から喜びを感じるのです。

牧師さんから「自分のありったけの声で賛美すると神様も喜ばれますよ」と教えられ、いつも大声で賛美するようになりました。度が過ぎたのか、時に「加納さんもう少し小さい声でお願いします」と言われます。しかし、イエス様に救われた喜びを小声に抑える事はできません。

そして、救われてから本当の自由を味わっています。今までは、何か一つのものを信じるというのは、バランスが悪く、とても不自由な事だと考えていたのです。真の神様を知り、何が良い事で悪い事なのか、はっきりと区別がつくようになりました。この世界には素晴らしく見える物がたくさんあります。

しかし、その全てが神様に喜ばれるとは限りません。狭い価値観や人間の哲学を基準に、選択の自由に甘んじていると、まがい物を手にしている事が多いのです。イエス様を信じ、聖書の真理を知った事で、間違った物を選ばずに済む真の自由を得ました。この気付きは、イエス様を信じなければ絶対にわか
らない事です。

不思議な方法で、家族や友人も救われる

クリスチャンになって数年経った頃、大阪の妹から電話がありました。私は沖縄に来てから、ほとんど実家に帰る事はなかったので、妹はその不満をぶつけてきました。電話の向こう側にいた私の母は、いつも通り喧嘩が始まるだろうと思っていたそうです。

気性の荒い以前の私ならそうなっていた事でしょう。しかし、私は実家に帰らなかった事を素直に謝りました。それを聞いていた母は私の態度に驚いたそうです。後日大阪に帰り、沖縄での出来事とクリスチャンになった事を母に話しました。母は「あんたがそう言うなら私も信じる」と言ってイエス様を救い主と受け入れ、教会へ通うようになりました。

沖縄でも、妻の妹と弟がイエス様を信じて救われました。義弟に関しては、私の3人の子供達と同じ日にバプテスマを受ける事ができ、本当に嬉しかったです。また義妹は、第一子を妊娠した時、血液の癌に犯されている事が判明しました。あまりの衝撃に、言葉も出ませんでした。

しかし、義妹のいやしのために、次の検査結果が出るまでの2週間、妻と必死で祈りました。血液の癌ですから、医学的に完治する事は難しいと承知していました。ですから、進行が遅いものであるようにと祈りました。しかし、検査の結果、癌はどこにも見つからなかったのです。待望の赤ちゃんも元気に生まれ、こんなに素晴らしい奇跡を起こしてくださる神様に、家族みんな心から感謝しました。

また、これはイエス様を信じる前の事になりますが、私達夫婦には新興宗教に入信していた30年来の友人がおります。彼女はその宗教が原因で、悲惨な人生を送っていました。ある日、夫婦で仕事の徹夜作業に突入という時に、彼女は「今から自殺する」と留守電を残してきました。すぐ折り返しの電話を入れ、妻と交代で話を聴きます。

しかし、彼女の意思は固いものでした。「それなら最後に僕の仕事手伝ってよ」と冗談まじりに話すと、電話越しに笑い声が聞こえ、自殺を思い留まってくれました。無神論者であった私の言葉に、何か思う事があったようです。

その後、私たちはクリスチャンになりました。彼女はその事に驚いていましたが、毎月1回程電話で話し、その度「いつも祈ってるよ」と伝え、福音を語る事もありました。しかし突然、彼女と音信不通になってしまい、妻は心配で必死に祈っていました。知り合いづてに彼女の所在を探し当てると、彼女は脳挫傷で入院している事がわかりました。

四肢は麻痺し、ろくに会話もできない酷い状態です。ある日、妻は彼女がイエス様を信じる夢を見、急いで東京の病院にいる彼女のもとへ駆けつけました。病床で彼女は「夢でイエス様を見たよ」と言ったそうです。友人はイエス様を信じ、以前の宗教の束縛から解放され、体は不自由であっても魂に真の自由を得る事ができました。

神様は私達の常識を超えて魂を救ってくださる事を改めて確信しました。

イエス様はどんな人も救ってくださる

これまでの人生を振り返ると、この聖書の言葉が思い起こされます。

弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」ヨハネの福音書9章2~3節

私が沖縄に来たのは、神様のご計画だと信じます。かたくなに神を信じようとしない私を、あらゆる苦しみを通してでも救おうとされたのではないでしょうか。人は誰でも救われるチャンスがあります。

しかし、それが体の元気なうちと病床では人生が全く違うものとなるかもしれません。もし、神はいないと言われる方がいれば、あれほどの無神論者だった私がイエス・キリストに出会った事を知って欲しいのです。私が救われ、家族や友人が本当の自由を得たように、この救いの喜びを一人でも多くの人に伝えたいと思っています。

何よりすべての人が救われるようにと心からお祈りします。

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