Christmas Message

片手間でない愛

沖縄グローリーチャーチ
牧師 下窪大哉

Merry Christmas

手間や効率を無視するイエス様の愛

先日某アパレル店で買い物をしました。一台以外はセルフレジで、しかも商品のバーコードを個別に通す必要はなく、商品をまとめてケースに入れると一瞬で認識され、あっという間に精算が終わりました。現代はより効率よく、より早くということを追い求めている時代だと感じました。

マザーテレサさんは周囲の人から「『死を待つ人の家』で死にゆく人たちにかける時間と物資は非効率で無駄だ」と言われました。しかし彼女は毅然と「誰からも愛されずに生きていた方が最期の大切な瞬間に、愛されたと感じながらこの世を去ることのために働くことは尊いことです」と答えました。これは、考えさせられる言葉です。私たちはとにかく効率的・合理的に考えようとしますが、愛とは、手間や効率を考えないものなのではないでしょうか。

イエス様はあなたの痛みに寄り添い癒やすお方

その愛の本質を目に見える形で教えてくれるものがクリスマスです。天地を造った全能なる神がそのまま天にいて遠くからあれをしなさいと人間に命令するほうが、神様にとってはるかに効率的で楽でした。


しかし、愛の神様はそうされませんでした。神様の愛を私たちの目に見える形で教えるために、クリスマスに実際に人となって地上に生まれてきて下さいました。そして、私たちと一緒に歩いて下さいました。一瞬で全てのものを作ることのできるお方が、時間をかけて私たちに関わって下さいました。

神のままだと苦しめられることがなかったのに、わざわざ人間になって、私たちが地上で受ける苦しみを一緒に受けてくださいました。人から理解されずのけ者にされる苦しみ、貧困の苦しみ、石を投げられ、つばを吐きかけられ、棒で叩かれました。

それは、あなたの苦しみがわかるよ、あなたの痛みを十分私もわかるよと伝えるためでした。また、重い皮膚病になり共同体から隔離されみんなからのけ者にされていた人に対して、「治れ」と言葉をかければ治すことができたにも関わらず、イエス様はその患部をわざわざ触って癒やされました。

言葉で治す方が効率的で簡単なのに、なぜわざわざその汚い皮膚に触って癒やしたのでしょうか?彼はみんなから避けられ、誰かに触れられる、誰かのぬくもりなんて何十年も経験していませんでした。イエス様はわざわざそんな彼に手で触り、そのぬくもりが彼を包みました。

そうです。イエス様は彼に触ることを通して、彼の心に触ったのです。イエス様は効率を求めたのではありません。彼が本当に癒やして欲しい心の痛み、自尊心まで癒やされたのです。単にあなたは価値があるよという言葉ではなく、あなたがどれほど大切な存在なのか、それは神であるお方があなたのために命を捨てるほどあなたは大切な存在だということを、彼が一番分かる形で体験するためでした。

Jesus Loves you

メリークリスマス! イエス様の愛をあなたにも

あなたはインドのカルカッタで死んでいく人のように、貧困で死ぬ人ではないかもしれません。でもこの二年間のコロナ禍の中で目に見えない不安と闘い、人からの心ない言葉に心を痛めたことがあったかもしれません。集まることができず、孤独を感じている方もいらっしゃると思います。イエス様はあなたに対して適当に、片手間で扱うことをしませんでした。

クリスマスに地上に来て下さり、あなたのもとに来て、あなたに目をとめ、あなたを愛しているよと手を置き、あなたと共に歩んで下さったのです。一見効率が悪い、合理的でない方法。クリスマスは神様のあなたへの愛が具体的に示されたものでした。

「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」ルカの福音書2章 10 ・11節

今年のクリスマスは、イエス様のぬくもりを個人的に味わう時間をゆっくりと持ってみませんか。静けさの中に片手間ではない非効率な、しかし本当の愛を味わうクリスマスを過ごしませんか。あなたは片手間でない愛で神様に愛されています。

メリークリスマス!

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