Daily Testimony#23

日常に隠れたイエスさまの祝福を探し出し、ほっこりしませんか。日々の証しを、家族や友達とシェアすると、私たちの内側から主の喜びが湧き上がります。笑いに涙に、何気ない会話の中にイエスさまは祝福を隠しておられます。

愛されてることを知った(Mさん20代女性)

私は3歳から教会に通っている。聖書の話やイエスさまのこともそれなりに知っているつもり。それなのに、幼い頃から「神さまはあなたを愛してる」この言葉を素直に受け入れることはできなかった。

いつもお利口さんにしていることが良いことで、そうでなければ自分はダメな子。昔から、そんな価値観で生きていた。教会で奉仕を任されるようになってからも、自分の足りなさに落ち込んだり安易に自分のことを蔑んだり。愛されるためには、人の役に立ったり、努力することが必要だと思っていた。

教会に通い続けても、聖書の愛のメッセージは人ごとで自分には当てはまらないと感じていた。特にイザヤ43章4節のみことばは、受け入れることが困難だった。でも聖書のみことばは信じなきゃいけない、心の中はみことばと自分の価値観とクリスチャンなんだからとの思いで八方塞がり状態。教会に行くたび、葛藤ばかりしていた。

こんな私に、神さまは結婚と出産を通してその愛を語ってくださった。

神さまの導きから、素敵な男性と出会い結婚。彼はクリスチャンではなったけれど、出会ってから付き合い始める間に不思議な方法でイエスさまを信じた。彼との結婚がなかったら、いまだに私は神さまの愛を知らなかったかもしれない。

そして、第一子である長男を授かる。お腹の中に子どもがいるという不思議な感覚と、我が子への愛情が心の底から溢れてきて、言葉では説明できない「愛」の意味をひしひしと感じ、心が洗われていくような気がした。生まれたばかりの息子を目にした時は、言い表せないほどの愛おしさで心がいっぱいになった。

退院してからも家で息子を抱くたび、「大好きだよ、愛してるよ」と声をかけてあげた。心からそう思っていたし、大切な我が子へ愛を伝えるのは大事なことだと考えていたからだ。

しかし、ある時から慣れない育児に疲れてしまったのか、何をやっても落ち込んでしまう日が続いた。家事も中途半端にしてしまうこんな母親でも、あなたを大切に思っている。だから息子には毎日「大好きだよ、愛してるよ」と伝えることだけはやめなかった。

そんな時、心の中ではっきり声がした「わたしも、いつもあなたを愛しているよ」神さまだとはっきりわかった。その声を聞いた途端、熱い涙がこれでもかというほど溢れてきた。息子を抱きながら、泣いて泣いて泣き続けた。涙が出ていくのと反対に今まで受け入れられなかった神さまの愛が心に入ってくるようだった。その時、初めて神さまに愛されていることを実感した。

その日から、息子を愛おしく思うのと同時に、自分も愛されていると感じる不思議な感覚に浸っている。母親が何の理由もなく、誰が何と言おうとを我が子を愛するように、神さまは私を愛してくださっているのだ。それまで受け入れ難かったイザヤ書のみことばは、しっかりと私の心の奥に刻まれている。

愛する夫と息子を与えてくださり、説明できないほど大きな愛で私を包んでくださる神さまに心から感謝します。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43章4節

God bless you

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