Daily Testimony#32
日常に隠れたイエスさまの祝福を探し出し、ほっこりしませんか。日々の証しを、家族や友達とシェアすると、私たちの内側から主の喜びが湧き上がります。笑いに涙に、何気ない会話の中にイエスさまは祝福を隠しておられます。
改めて知る、みことばの恵み(20代男性)
僕はクリスチャンホーム生まれの、ミッションスクール育ち。家でも学校でも、もちろん教会でも、聖書のみことばを身近に感じながら育ってきた。
しかし、物心着いてくると親や先生の言うみことばは、どこか命令じみていてやらなきゃいけない事のように思えてならなかった。
中学生になり、個人的にイエスさまと出会って救われた喜びを感じて今まで過ごしてきた。けれど、今年に入ってから、昔から当たり前のように知っていたみことばの恵みの深さを思い知るようになったのだ。
去年の年末、いつものように聖書を読んでいるとⅠテサロニケ5章の耳にタコができるほど聞いてきたあのみことばが、なぜか心に響いてきた。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなた方に望んでおられることです。」
「アーメン」と心の中に収めるが、なんかいつもと違う。その日から、このみことばが僕の後をつけてくるように心にチラついて離れないのだ。あまりにも心に響いてくるから、このみことばを本気で実践してみよう!正直軽い気持ちだがやってみる事にした。
仕事や人間関係の問題が起こるたびにこの聖句を思い出し、喜んで、祈って、感謝した。自分の足りなさに情けなくなりそうになると、また、喜んで、祈って、感謝する。
次の日も、次の日も、また次の日も。今思うと実践し続けられた事自体、神さまの恵みだったと確かにそう思う。
とにかく実践していると自分の内側の変化に気がついた。今までなら、問題が起こるとある程度自分で我慢して、限界が来ると一人になって神さまに吐き出すように祈り、気が済むまで賛美していた。時には、号泣しながら神さまに訴えたりもしていた。
僕にとって、その時間が本当にストレスや悩みから逃れられる方法で、唯一の時間だった。しかし、祈りと賛美が終わると現実に戻り、いつもと変わらない日常を過ごす。そして、悩みやストレスが溜まると・・・この繰り返し。
厳しい言い方をすれば、僕は神さまを現実逃避するために利用していたのかもしれない。
しかし、このみことばを実践し出してから心がとても軽いのだ。問題の中に喜びを見出すようになり、ことあるごとに祈っては神さまに委ねて同時に感謝が湧いてくる。どんな時にも、このみことばに励まされているような感じがした。
しかも、それは自分だけにとどまらず周囲の人にも影響し出したから驚きだ。
僕のクリスチャンの友人の一人に、ネガティブな子がいた。この実践をし始めてから、その子に会うたびに励ましの言葉をかけるようにした。最初の頃、その子は「自分はそんなんじゃない」など励ましても否定的な言葉で返していた。
それでも、毎回励ました。少しうざったいと思われたかもしれない。めげずに続けていると、その子の言葉と表情が変わっていく「そうだね頑張ってみるよ」「いつもありがとう」その子との話題も楽しいものに変わっていった。
その時、改めて自分の力ではないみことばの恵みの深さを思い知った。みことばをやってみると、本当にその通りのことが起こる。いや、予想以上のことが起こるのだ。
今まで、命令じみて聞こえていた聖書言葉「〜しなさい」「〜しなければいけない」は「〜したらいいことがあるよ」「〜すると祝福されるよ」に変わって聞こえてくるようになった。
クリスチャンとしても、少しは成長しのかもしれない。今まで、頑張らなきゃいけない日常は、みことばの力で歩む日々へと変えられていった。
神さまは、本当に僕のことを愛しておられる。今まで嫌と言うほど聞いて知っていたけど。これから僕は、言葉じゃ説明できないくらいの愛を感じる事になるはずだ。
聖書とその素晴らしいみことばを与えて、恵みの道を歩ませてくださるイエスさまに感謝して、すべての栄光をお捧げします。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなた方に望んでおられることです。」Ⅰテサロニケ5章16〜18節
God bless you