Daily Testimony#12

日常に隠れたイエスさまの祝福を探し出し、ほっこりしませんか。日々の証しを、家族や友達とシェアすると、私たちの内側から主の喜びが湧き上がります。笑いに涙に、何気ない会話の中にイエスさまは祝福を隠しておられます。

友に教えられたこと(Mさん30代女性)

 いつからでしょうか、私は自分の性格がとても嫌いで仕方がありませんでした。何かと細かいところに気がつき、それによって心配したり、他人の些細なミスを指摘して心の中で裁いてしまったり。その挙句、クリスチャンのくせにそんなことをしている自分を卑下するという負の無限ループに陥ってしまいます。

 そんな私の祈りはいつも、「イエスさま、こんなひどい性格を取り除いてください」でした。

 何年も何年も祈りましたが、一向に私の性格は変わることはありませんでした。しかし「こんな自分じゃ神さまに喜ばれない、もっと祈らないとだめだ」と、良いクリスチャンでいなければと思い、必要以上に自分を律するようになっていました。いわゆる律法主義と言うやつです。

 自分の力で頑張って繕っても、心の中は依然と変わりません。逆にその方が辛く、過度なストレスを負うだけでした。ある日、なんでも打ち明けられる友人に自分の性格のことを相談しました。必要以上に心配してしまうこと、人の失敗を見過ごせずに心の中で裁いてしまうこと、この性格はどうしたら変えられるのか。友人は黙って耳を傾けてくれました。

 私の話が一息つくと友人はこう言いました。「たぶん、その性格も神さまが作ったんじゃない?あなたみたいに細かいところまで気がつくことは、神さまからの賜物だと思うけど?」その言葉を聞いて驚きました。「この性格が賜物?」友人は続けます。「ただ、その賜物の使い方が間違ってるだけかもしれないよ。今のあなたじゃなかったら私は友達になれなかったかもね、私にとってそれはとても悲しいことだよ。だからあなたはあなたのままで良いと神さまは言うと思うけど?」

 今まで考えたこともない言葉に、目から鱗が落ちたようでした。人より心配性で人の失敗を見過ごせないのは、細かいことまで祈ったりその人のためにとりなしの祈りをするためかも。神さまがそのことを私に望んでいるとしたら、私のはそのためにこの性格なのか!と初めて心がスッキリしました。

 その日から、以前より肩の力が抜けて信仰生活を楽しく生きることが出来ています。そして少しづつではありますが、心配になると祈り、他人のためにとりなす祈りができるようになりました。

 以前の私がどれほど独りよがりな信仰生活をしていたのかと思うと、恥ずかしくなります。神さまは、大切な友達を通して優しく教えてくださったことに大きな愛を感じました。神さまに愛されていることを身をもって知ることが出来て感謝します。そして、自分を愛する大切さも知りました!

これかも神さまに信頼して歩んでいきたいです。

鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。箴言27章17節

God bless you

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