Daily Testimony#22

日常に隠れたイエスさまの祝福を探し出し、ほっこりしませんか。日々の証しを、家族や友達とシェアすると、私たちの内側から主の喜びが湧き上がります。笑いに涙に、何気ない会話の中にイエスさまは祝福を隠しておられます。

試練の理由(Nさん40代男性)

数年前、長男が大病を患いました。その闘病期間と治療の副作用は、息子にとって本当に苦しい時期で私たち家族にとっても大きな試練の時でした。しかし、同じ教会のメンバーやそれ以外にもたくさんの兄弟姉妹の祈りに支えられ、神さまの平安が私たちを守っていました。そして神さまは祈りに応えてくださり、治療は成功して息子は癒され現在は元気に過ごしています。

最近そのことを母親と話していると、「あなたが幼いころ通った試練はこの時のためだったのね」と神さまが私に経験させて下さったことを思い出させてくれました。私は幼い頃、珍しい血液の病気で、スポーツはおろか普通に外で遊ぶことさえ出来ませんでした。

私にしてみれば、当たり前のことだったのでそこまで大変に感じていませんでしたが、両親にとっては非常に悩みの種でした。その当時私の家族はクリスチャンではなく、イエスさまへの信仰は持っておらず、父と母は本当に苦しかったと思います。それでも2人は苦しいそぶりを見せることなく、いつも楽しい時間を過ごさせてくれました。病院に行くたび、普段は食べないファストフードの朝メニューをしかもお代わり付きで食べさせてくれました。手術の前、母は私の大好きなジュースを買ってくれたりして、闘病生活の中に苦しさではなく楽しさを与えてくれました。

病院の先生も、いつも冗談を言って笑わせてくれました。また、病室には同じ病気の子たちが何人かいて、手術の前になると「今日、オレは〇〇を切ってくるんだぜ」なんて自慢しあったり、良い友達もできました。その中にクリスチャンの子もいて、私のために祈って福音を伝えてくれました。これは別の証になりますが、この時が初めてイエスさまのことを知るきっかけになり、後にクリスチャンとなる種をその友達は私に与えてくれたのです。

長い闘病生活に加えて7回の手術。家族の愛とお医者さんのおかげで、私は病気を乗り越えることができました。そして、今も生きているのは神さまのおかげだと心から確信しています。結婚して子どもが与えられたのも、神さまの恵みとしか言いようがありません。その私の息子が病にあった時、私は幼い頃の経験から、彼を心配するよりも特別な時間を過ごすことに専念しました。病室にはいつも一緒にいて、たくさん冗談を言って笑いました。彼の好きなゲームをひたすら一緒に遊んだり、一緒にたくさん聖書を読んで祈ったりもしました。

息子と二人だけの時間は私にとって特別な宝物です。彼にとっても、この期間が神さまと人に愛されていることを実感する時となり、信仰も大きく成長したと感じています。私の通った試練はただ私が生きながらえるためではなく、私の息子を励ますためでした。そして今、私たち家族が通った試練と癒しの証を通して病の中にいる人達を慰め、励まし、共に祈る恵みに預かっています。息子もこれから大人になって、苦しんでいる人を慰めて一緒に祈ってあげるようになるでしょう。

聖書のみことばの通り、試練はただ苦しみの為にあるのではなく、後に誰かを慰め、励ましを与えるためだと知りました。しかも、何十年も前、私がクリスチャンでもない幼い頃から神さまの計画が動いていたと思うとその恵みの大きさに驚くしかありません。

イエスさまは本当に永遠の命を与える救い主です。この方に心からの感謝と栄光をお返しします。

神は、どのような苦しみの時にも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神のから受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。第2コリント1章4節

God bless you

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